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第545話 白い壁と青い窓 (8)
「彼って、涼矢?」
「ああ。こんなに離れてるのにな。来るだけで疲れたよ。よく続いてるよなあ。」
「あちらはリッチだから深夜バスなんて使わない。」
「そういう問題じゃなくてさ。」
「だったら、なんであいつだけ頑張ってるって話になるんだよ。遠距離はお互い様だろ。」
「おまえはほら、愛されキャラだから。」
「はぁ?」
「なんやかんや言って放っておかれないタイプだろう? どんなにおまえが失敗しても、みんな、しょうがないなぁって言いながら許して、甘やかす。ルックスがいいとこうまで扱いが違うものかって思うよ。」
「そんなことねえよ。」
宏樹はその話を続けることなく立ち上がり、冷蔵庫を開けた。「なんもないな。米はあるんだろう? お粥でも作るか?」
「何も食べないで来てくれって。手術だから。」
「ああ、そうか。じゃあ俺も、おまえのことが片付いたら食べようかな。」
「いいよ、気にせず食べれば。」
「バスの中でちょこちょことは食べてたから、そんなに腹減ってもいないんだ。」
「深夜バスね。来るだけで疲れるもんね。狭いし、ろくに眠れないもんね。悪かったね。」皮肉をこめて和樹が言う。
宏樹はムッとするが、横たわる和樹を見ると、あまり強くは言えない。そうなることも承知での、和樹の皮肉だった。
「ほらな、おまえはすぐそうやって。……でも俺は怒れない。そういう奴だ、カズは。」宏樹は苦笑いをしながら言うのが関の山だった。
「そんな風に思ってたんだ。」
「思ってたさ。でも、人から好かれるのも才能だしな。」
「……俺だって、いっつも兄貴と比べられてた。成績だって、スポーツだって。みんな口には出さなくても、お兄ちゃんはもっとよくできたのにね、って思ってるのが伝わってきた。」
宏樹はきょとんとした顔で和樹を見る。「そんなことあったのか?」
「ありまくりだよ。中学までは兄貴のこと知ってる先輩とか先生とかいっぱいいたし。俺、顔はいいから、期待値がやたら上がっちゃってさ。」
「自分で言うか。」
「言うよ。……勝手にハードル上げて、そんで兄貴より出来が悪いのが分かった途端に、なぁんだ、顔だけなんだ、って勝手にがっかりする。そんなことばっかりだった。俺がもっと地味な、真面目そうな奴だったら、そこまで思われなかったと思う。しかも、うまくできたらできたで、コーチに気に入られてるとか贔屓されてるとか言われるしさ。」
「へえ。イケメンにはイケメンの苦労があるんだな。」
「そうなんすよ。」
「いっぺん、俺と顔を交換してみたいもんだね。」
「はは……つぅっ。」笑った拍子にまた痛む。
「大丈夫か。やっぱり病院行こう。受付前でも待合室は使えると思うし、病院にいたほうが何かあった時に安心だ。」
和樹は宏樹のその言葉に頷いて、2人は病院へと向かった。指定されていた入院手続きの時間よりは1時間近く早く病院に到着したが、すんなりと受け付けてもらえた。一通りの説明を受けながら病室に案内された。4人部屋だが、ベッドは2つ空いている。その1つが和樹のベッドだ。一段落したら術前の検査をすると言われ、だんだんと緊張が増す和樹だった。
検査の結果、その日の午後からの手術が決まった。それまで2時間ほどの空き時間がある。宏樹は検査の間にテレビカードを購入しており、それを和樹に渡した。
「俺、なんか食ってくる。おまえはテレビでも見てろ。」そう言って、病室を出かかって、またすぐ戻ってきた。「テレビ見るのに、イヤホンが要るんだったな。」さっき聞いたナースの説明によればそうだった。そして、病院の備え付けの物はなくて、持参するか、購入しなければならないのだとも。そんなことは説明を聞くまで知らなかったので、当然持参していなかった。宏樹はごそごそとポケットを探り、イヤホンを出した。「これでいいか?」
「兄貴が使ってるんじゃないの。」
「いいよ、貸してやる。」
「……ありがとう。」自分も家に帰ればイヤホンはあるはずだった。最近では音楽を聴くにも、涼矢にもらった無線タイプのものばかり使っていた。そのほうが音質が良かったからだ。元々使っていたほうも捨ててはいないはずだが、どこにしまったか覚えていない。どちらにしろテレビのイヤホンジャックを見る限りでは、無線タイプは使えなさそうだ。和樹は素直にそれを借りることにして、その代わり宏樹に家にある無線タイプを貸してやろうとも思ったが、その「本来の用途」を考えると気が引けた。
手術は予定通り腹腔鏡手術で、滞りなく済んだ。気が付いたら病室にいて、宏樹はベッド脇で本を読んでいた。和樹が目覚めたのに気づくと、宏樹は「どうだ?」と尋ねた。
「うん、よく分からない。」
「だよな。」宏樹は笑う。
小さくはあるが傷はあるはずだった。だが、痛くはない。まだ麻酔が効いているのだろう。よく分からない、というのは正直な感想だった。
「明日の昼からは普通の食事ができるってよ。すげえな。」宏樹は入院計画書を見ながら言った。
「すごいの?」
「開腹手術だったら、3日ぐらいは流動食じゃない?」
「そうなんだ。」
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