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第549話 白い壁と青い窓 (12)
その時ナースが夕食の時間であることを告げに来た。宏樹が和樹の食事を配膳ワゴンに取りに行く。和樹は色も塩分も薄いコンソメスープとリンゴジュースだった。ついでに隣の患者の分のトレイも持ってきて届けてやったようで、カーテン越しに「あら、すみません、ありがとう」というさっきの女性の声が和樹にも聞こえた。
「起き上がれる?」
「うん。」
担当のナースが顔を出して来た。「都倉さーん、お食事大丈夫そうですか?」
「はい。」
「手足の感覚は戻ってますか? しびれや違和感はありませんか?」
和樹は手足の指先を動かしてみる。特に違和感はないのでそう伝える。
「歩けるようでしたら、トイレも普通にしていいですから。もし感覚がないとか、立ち上がってふらつくようでしたら言ってくださいね。」
「大丈夫そうです。」
「はーい。」ナースは忙しそうにまたどこかへ消えてゆく。
「トイレできないのは困るよな。」と和樹は呟く。「できなかったら、どうするんだろ。」
「カテーテルかな。」
「何それ。」
「管を挿すんだよ。」
「どこに。」
「どこにってそりゃ、しょんべんするんだから。」
「……ああ。って痛そう。ていうか、食事中にやめてよ。」
「カズが聞いたんだろうが。」
「そうだった。」笑いながら、和樹はスープをすする。「兄貴はメシ、どうすんの。」
「適当に食って帰るよ。おまえの冷蔵庫も何もなかったから、明日の分も買い物して。米は使わせてもらうぞ。」
「どうぞ。」
「それ食ったら、片付けして、そしたら帰るわ、今日は。明日は午後来る。洗濯する物あったらまとめておけ。欲しい物あったらメールして。」
「あ、そうだ、ここ、スマホOK?」
「マナーモードで、通話以外ならいいって。部屋の消灯は9時。」
「分かった。」
宏樹は予告通り、和樹の食器を下げると帰って行った。
和樹は再び横になると、涼矢にメッセージを送る。無事に手術が済んだこと。宏樹が来てくれたこと。明日の昼には普通食が食べられるらしいこと。
[よかった]
待ちかねていたらしい涼矢からは、すぐに返事が来た。
[元気だから]
[傷は? 腹腔鏡手術でも少しは切るんだろ]
[うん。でもすごく痛かったりはしないよ。ちょっとは痛いけど、ちょっとだけ]
[傷跡、目立つ?]
[まだ見てない]
和樹は自分のお腹を見た。臍の部分に、ほんの1センチほどの傷がひとつ。それだけだ。腹腔鏡手術でも、確か単孔式といって、従来の3ヶ所穴を開ける術式より、更に傷が目立たずに済むと聞いた。そのことを涼矢にも伝える。
[へえ、すごい]
[今はまだ腫れてるし痛むけど、きっとおまえが見る頃にはただの臍だよ(笑)]
[じゃあ俺もヘソピでもして、痛みを分かち合おうかな]
[ダメだって]
[かっこいいのに]
[おまえがやるなら、俺もやる でも今は無理だし]
[そりゃ無理だろ 手術したところなのに(笑)]
[だからおまえもダメ]
[なんだそれ]
そんな他愛ないやりとりをしばらく続ける。やがて和樹が言う。
[明日は電話する]
[ん? 何かあった?]
[声聞きたい]
涼矢からの返答は少し間が空いた。やっと届いたのは
[うん]
の一言だった。
翌日、午前中の回診が済んだところで、和樹は休憩室に行く。少々前屈みでないと傷が痛むが、ゆっくりなら歩けた。休憩室には白いテーブルと椅子が並び、飲み物の自動販売機がいくつかと、院内貸し出し用の文庫本の本棚があった。面会時間だと面会に来た人と患者が歓談したりする光景が見られるが、今は時間外だから誰もいなかった。公衆電話もここにある。スマホで通話するためには、ここか外に出るしかない。和樹は一番端の目立たない椅子に腰かけ、涼矢に電話をかけた。
――おはよう。
涼矢の声が聞こえてきた。前回会話してから大して時間は経っていないのに懐かしい気がした。それに前回は腹痛に耐えながらだったから、元気な自分の声を聞かせたくて、和樹は必要以上に声を張って「おはよ。今、平気?」と言った。
――うん。掛け直そうか?
涼矢のほうは通話し放題のプランだから費用がかからない。
「いや、いいよ。」
いつもなら何も考えずにそうしているのに、何故か一度でも電話を切ることに抵抗があった。
――具合はどう?
「うん、いい感じ。回診もあって、順調だって。」
――退院日って決まってるの?
「あ、そうだ。それ交渉しなきゃだった。金曜日って言われていたんだけど、火曜日にしてもらえないかって。兄貴来てから相談だな。」
――金曜を火曜に? つか、火曜って明後日だろ。昨日手術してそれは早過ぎない?
「兄貴が水曜日に用事があるって言うから。」
――それはお兄さんの都合じゃなくて、おまえの体調で決めるものだろ。
「だから、調子いいから。」
――昨日の今日で分かんないだろ。熱とか出るかもよ。
「大丈夫だよ。」
――盲腸だからって軽く考えるなよ。
「うん。でも、長引くと兄貴の代わりにおふくろが来ちゃう。」
――来てもらえばいいだろ。
「やだよ。俺の部屋、あちこち探るもん。それも、俺のいない隙にだぞ。」
――……ああ、それはちょっと。
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