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第554話 白い壁と青い窓 (17)

 俺たちの母親は、自分だったらしない選択をする人を――デキ婚や同性愛を――まずは「普通じゃない」と否定するかもしれないけれど、否定して終わりの、血も涙もない母親ではない。それが大切な人の幸せだと分かれば、涙を流して祝福してくれる人だ。だから、和樹たちも大丈夫だ。きっと大丈夫だから心配するなと、宏樹は言いたいのだろう。 「感激屋だからなあ、母さん。」和樹は笑った。自然に言ったつもりだけれど、声がかすれた。ほうじ茶を一口含む。それからぽつりと言う。「兄貴は、デキ婚でもなんでもいいから、頑張ってよ。」 「そういうこと言うなよ。」隣り合って座る2人の視線は絡むことはないのが救いだった。 「……なんてね、結婚だの出産だのって、頑張ればうまく行くってわけじゃないしな。」  宏樹は苦笑する。「和樹らしくないこと言うなぁ。」 「俺もね、いろいろありましたから。涼矢のことだけじゃなくて。」 「そうか。そうだよな。」 「……と言っても、涼矢がいたから気付いたってのが正しいかな。あいつとこうなってなきゃ、素通りしてたようなこと、いっぱいあって。でも、いろいろ見えてきた分、不安も増えた。」和樹は額に手をやり、落ち着かない素振りでそこをこすった。それから、前屈していた姿勢から逆に、背もたれに体重を預けるような姿勢になり、天井を仰いだ。そんな姿勢をすると少し傷が痛んだが、ほんの少しだ。「あーあ。なんで俺、兄貴にはこういうこと言っちゃうんだろうな。あいつには弱音も愚痴も言わねえのに。」ほんの少しだとしても、痛むなら元の前屈に戻ればいいものを、和樹はそのまましばらくその傷みを味わった。食後に飲むように指示されている何種類かの薬のどれかは痛み止めのはずで、その薬のせいか、いつもより頭がぼんやりして、思考が拡散しがちだ。わずかな痛みでもあったほうが、頭がはっきりする気がした。 「彼も、おまえには言わないんだろ? 弱音とか。」 「言わないね。」 「そうなんだろうなって思うよ。彼、見てたらね。けど、そういうの、淋しくはないのか?」 「淋しい?」 「お互い弱音も愚痴も言わずに、お互いを張り合いにして頑張る。それは確かにすばらしい関係だと思うけど、だったら、友達やライバルの関係で良いじゃないかって思うんだよな。おまえらだって、元は、部活の仲間で、ライバルだったわけだろう? だったら、そのままで良かったんじゃないかって。それだったら、そんな風に不安に思うこともなかったわけだしさ。」  和樹は元の姿勢に戻り、黙り込む。友達のままなら。部活のライバルのままなら。宏樹の言う通り、涼矢との関係に思い悩むことなど何もなかったに違いない。 「誤解するなよ? 今のおまえらを否定してるわけじゃないんだ。」  それで否定していないならなんなんだ、と思う。兄貴が俺たちのことを一生懸命理解しようとしてくれているのは分かるが、やはり、どこかズレているように思う。 「兄貴さ、最初の時。」 「ん?」 「俺が男から告白されたって言った時。兄貴は告白して玉砕したけど、その人に一度だけデートしてもらって吹っ切れたって言ってただろ?」 「うわ、また随分古い話を。」宏樹は恥ずかしそうに鼻の頭を掻いた。  それを無視して、和樹は続ける。「本当はOKしてもらえる自信があった?」 「ないよ。全然なかった。クラスメートだったし、普通に仲良くしてたけど、友達だとしか思われてないのは分かってた。」 「じゃあ、なんで? 黙ってりゃ友達のままでいられたのに、なんで告白なんかした?」 「それはおまえ。」宏樹は当時を思い出したのか、照れ笑いをしながら、和樹を横目で見た。だが、"恋バナ"を楽しむような笑顔は微塵も見せず、暗く沈んだ表情の和樹を見て、我に返る。 「振られると分かってて、友達のままでいられなくなるかもって思ってて、どうして告白したわけ?」 「涼矢も同じだって?」 「同じじゃないわけ?」 「そう怖い顔するなよ。否定してるんじゃないって言ったろ。俺はね、ただ、リスクが大きいじゃないかと思ったんだ。俺が振られたところでさ、なんて言うんだろうな、3日もすれば笑い話にできたんだ。振られちゃったよ、って仲良い奴に言えて、一緒にカラオケにでも行って発散すればそれで済んだんだ。……でも、涼矢は、そんな風に別の誰かに慰めてもらったり励ましてもらったり、逃げ道っていうのかな、駆け込む相手がいなかっただろう? それでそんな告白って、辛すぎるじゃないかって。」 「そうだよ。だからあいつは必死だった。だから、ごめんなさいだけで済ませられなかったし、兄貴に相談もした。兄貴が言ったんだ、そう簡単なことじゃないはずだって。だから兄貴の言ってたデートもして、それで。」 「おまえも、好きになった?」 「……そうだよ。そんで、それで良かったって思ってるよ。友達のままで終わらせなくて良かったって。いくら不安でも淋しくても、今のほうがいい。」

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