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第557話 白い壁と青い窓 (20)

「涼矢? 俺だけど。」 ――おう。どう? 「うん、元気元気。」 ――宏樹さんは? 「今、昼の弁当買いに行ってる。」 ――そっか。もう普通に食べられるの? 「ああ、もう平気。油ギトギトとか超辛口とかは無理かもだけど。」 ――超辛口は元気な時でも無理だ、俺。 「はは。」 ――良かった、元気そう。声に張りがある。 「そう言ってるだろ。」 ――和樹の元気平気はあてにならないから。 「信用ねえなあ。……でさ、あんまり時間ないんだ。兄貴、近所のコンビニだから、すぐ帰ってくる。」 ――宏樹さんに聞かれてまずいことを話すつもりだったわけ? 「バーカ。」 ――愛してるよ、和樹。和樹は? 「だから、そういうのやめろって。」 ――こんなに心配してたのに、言ってくれないんだ。  和樹は誰がいるわけでもないのに、小声で「愛してるよ。」と言った。 ――あ、ホントに言った。 「なんだよ、それ。」和樹は不満気な声を出す。「……ホントのことだから、ホントに言うよ。」 ――頭も手術したのかよ? なんか違う。 「ひでえな、人がせっかく。」その時、アパートの外階段を上ってくる音がかすかに響いてきた。「あ、帰ってきた。じゃ、また。夜にでも。」  涼矢の返事は聞かずに、和樹は電話を切った。  宏樹は弁当と、ついでに買って来たらしい2Lのペットボトルのウーロン茶をテーブルに置いた。それからコップを取ってきて、それも置いた。 「(さわら)の西京焼き弁当っていうのにしたけど、いいか? 他は揚げ物がメインのばかりで。」 「うん、いいよ。サンキュ。」和樹はウーロン茶を2人分、コップ注ぐ。 「いただきます。」と宏樹が言い、和樹もそれに次いで言う。割り箸をパシッと割る音も2人分、響いた。 「そう言えば、カズ。」 「うん?」 「おまえの高校さ、テレビに出てるだろ?」 「え、なんか事件があったの?」 「違う違う、ドラマの。今やってる連ドラの舞台になってる。校舎の外観とエントランスのところ。」 「知らなかった。」 「タイトルはなんて言ったかな。ま、分かったら教えるよ。」 「ああ、うん。学園ドラマ?」 「いや、刑事物。」 「刑事物で高校でロケ?」 「女子高生が殺されて、その犯人を巡る話なんだよ。」 「うわ、そんな話の舞台は嫌だなあ。」 「制服は違ってたけどな。学ランとセーラー服だった。時代が少し古い設定で。」 「ふうん。」 「俺の母校は戦前から学ランのまんまだけどね。カズの学校はブレザーで、なんかお洒落だったよな。やっぱり私立はそういうところが違うな。」 「兄貴のところは、制服で選ぶような奴は進学できませんから。」和樹は思わず卑屈な言い方をした。宏樹は県内でもトップ高と呼ばれる県立高校、和樹はそれより偏差値で言えば2ランク程下の私立高校の出身だ。涼矢も和樹も第一志望に落ちて入った学校だった。 「カズは教職課程、とってるんだろう?」 「うん、一応ね。」 「教師になっちゃえば出身校なんて関係ないぞ。出世に学閥も関係ない。」 「そりゃそうかもだけど。まだ分からないよ。」和樹は曖昧に答えた。涼矢も似たようなことを言っていなかったか。そうだ、高校に引き続き、大学でも第一志望に落ちた涼矢が、佐江子に言われたというセリフだ。司法試験をパスすれば出身大学など関係ない……だったか。出来が良い人間というのは、そんなことを簡単に言ってのけるから困る、と和樹は思う。  そんな昼食を終えると、宏樹は予告通りに帰っていった。帰り際に、和樹に封筒を渡してきた。 「何これ。」 「母さんから小遣いだってさ。へそくりから出したから親父には内緒だって。」 「え、そんなの。」 「いいんだ、もらっとけ。」 「兄貴は?」 「馬鹿、俺からもせびろうってか。」 「違うよ、兄貴は何かもらったかって聞いてるの。俺ばかりもらうんじゃ悪い。」 「あ、ごめん、そういう意味か。いや、俺はいいんだよ、働いてるし、何しろ衣食住はまだ親のすねかじりだからな。」 「……ありがと。助かる。」 「母さんに言ってやれよ。たまには電話でもしてさ。」 「うん。」 「じゃな。」  そうして宏樹は、東京土産を手に、帰って行った。  宏樹が帰ったらまっさきに涼矢に電話をかけ直す気でいた。けれど、別れ際の会話で、まずは実家にかけることにした。 「ありがとう、なんか、いろいろ。」 ――ごめんね、行けなくて。 「兄貴来てくれたから大丈夫だよ。瑞穂ちゃんの結婚式、どうだった?」 ――それがねえ、本当にきれいでね。今はすごいのね、妊婦さんなのに全然目立たないドレスなの。うまい具合に、ハイウエストで切り替えになっていて……ってこんな話を和樹にしても仕方ないわね。宏樹はもうそっち出たの? 「うん、少し前に。あ、で、へそくり、ありがとう。」 ――嫌だ、宏樹ったらそんなことまで言ったの。 「バイトも休まなきゃならなかったから、助かった。」 ――バイトもいいけど、健康が一番だからね。 「うん。」 ――そうだわ、保険の書類のこと、ちゃんと聞いてる? 「うん。来週出来上がったら受け取りに行く。そしたらそっちに送ればいいんだろ。」

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