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第558話 Spring has come (1)
――そうそう。お願いね。……やっぱり1人暮らしすると違うわね。
「何が。」
――そういうこともちゃんとやれるようになって。心配したけど、あなたもやればできるんじゃない。
「前からやってただろ、これぐらい。」
――うそぉ、やらなかったわよ。学校のプリントすら持ち帰ってこなかったくせに。空のお弁当箱だって、何度言ったって水に漬けておいてくれないし。
「その節はすいません。」和樹はおどけて言う。
――少しは親の苦労が分かったでしょ。
「はいはい。それじゃ、また。」
――体、大事にね。
「はいはい。」
電話を切って、ふう、と息を吐く。親との会話は懐かしいし温かな気持ちにもなるが、同時にどうにも煩わしい。余計なひと言がなければいいのに、と思う。たとえば弁当箱のことなんか、今言わなくてもいいだろう。
高校時代の弁当のことを思い出すと、芋づる式に別のことも思い出した。大抵は遅刻気味に起きて、テーブルの上に用意してある弁当をひったくるようにして鞄に押し込み、猛スピードで自転車を漕いで登校した。
でも、たまに、ごくまれに、恵が弁当を詰めているぐらいのタイミングで食卓に顔が出せることもあった。恵は最後に弁当箱を正方形の布で包んで、結ぶ。
――ああ、その仕草だ。病院で、白石さんの奥さんが、お菓子をハンカチでくるんだ時の。あれを見ておふくろを思い出したのは、きっとあの、朝の光景だ。
思い出してすっきりしたところで、和樹は今度こそ涼矢に電話をかけた。涼矢はすぐに出て、また「こっちからかけ直そうか?」と言った。ようやくゆっくり会話ができるのだから、気兼ねなく長電話ができるほうがいい。和樹はそうしてくれ、と言っていったん電話を切った。
――今は、1人?
と、涼矢が言った。
「うん。1週間ぶりだよ。病室も相部屋だったから。」
――お疲れさん。
「ゴロゴロしてただけだけどね。」
――手術の傷は治った?
「ああ。一応消毒はしばらく続けるけど、大丈夫だよ。」
――今度見せて。
「相変わらずの変態発言だな。でもな、残念ながら臍のとこを切っただけだから、そんなに目立たない。」
――残念じゃないよ、そのほうがいいに決まってる。和樹の体の傷はできる限り小さいほうが。せっかくきれいなんだから。
「なんだよ、きれいって。普通だろ。」
――ちゃんとリハビリしろよ。筋トレとストレッチ。
「鬼か、手術してきた奴に。」
――臍がひとつ増えただけだろ。
「増えてねえわ。」
ひとしきりそんな軽口を交わして、笑いあった後、涼矢は言う。
――でも、まあ、うん。よかった。
「ご心配おかけしました。」
――うん。心配した。
「ごめん。」
――謝る必要はないけど。
「入院って、やっぱり嫌なもんだな。」
――そりゃあね。
「何度もしたんだろ?」
――小さい頃の話。
「あんなの、小さい頃に味わうってのもな。」
――自分ではそれが当たり前だったから。
「元気に治って出ていく人ばかりじゃないし。」和樹の脳裏に白石が浮かぶ。
――ああ、それね。それは確かに、ちょっときつい。俺もあったよ、入院先で仲良くなった子がさ、ある日突然いなくなったり。
和樹が言っているのはそこまでハードな話ではなかったので、言葉に詰まってしまう。それを察したのか、涼矢は話題を変えた。
――和樹のところには誰かお見舞いに来てくれた人、いた?
「いや、塾の人にしか知らせてなかったから、誰も。兄貴は一応、毎日様子見に来てくれてたけど。」
――じゃあ、ちょっと淋しかったね。もっと連絡くれて良かったのに。
「充分だっつの。毎日電話して、メールもして。スマホが使えたからネットもできたし、特別淋しくはない。」
――そうか。俺が入院してたのはこどもの時だから、スマホも持ってなかったもんなあ。そうそう、俺のいた病院の小児科は、感染症が命取りだからという理由で、こどもはお見舞い禁止だったんだよね。ほら、こどもって知らない内にインフルエンザだったり水疱瘡だったりする確率が高いから。だから、学校の友達とかには一切会えないわけ。担任の先生がみんなからの手紙持ってきてくれたりとかするけど、そういうのだけ。病院で仲良くなった子がいても、どちらかが退院したらそれっきり。お見舞いに行くことも、来てもらうこともできない。俺、その頃から友達は少なくても平気なほうだったけど、さすがにね、月単位で入院した時は淋しくて。退院してすぐうちに柳瀬が来てくれてさ、その時ぐらいだな、あいつの顔見て心底嬉しかったの。
「柳瀬、めちゃくちゃ優しいな。よっぽどおまえのこと心配だったんだ。」
――そう思うだろ? でもさ、それ、親経由で差し入れてくれてたコロコロコミック、読み終わってるなら返してくれって言いに来ただけだったんだよ。ひどいよな。
「なんだそれ。」和樹は声を立てて笑った。涼矢の話は実話を多少大袈裟に脚色している気もした。そうだとしても、それがきっと、涼矢なりの励まし方なんだろう、と和樹は思った。
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