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第565話 まだあげ初めし (5)

 和樹は少し驚いて、久家を見た。「隠してる? でも先生は気づきましたよね? 俺も、ですけど。」 「それはやっぱり、そういう気持ちを同性に抱いたことのある者の勘……としか言いようがありませんが。」 「そんな、特殊能力みたいな。」  和樹の言葉に久家はハハッと笑った。「特別なものでもないでしょう。広ーいデパートなのに、行く先々の売り場でかち会う人っていません? そんな時は、何も言わずとも同じような趣味の持ち主だなって伝わるものがあるでしょう? それから、服や持ち物のセンスから、なんとなく同じ監督の映画が好きそうって思って、実際親しくなってから聞いてみると本当にそうだったり。そういったことと似たような感覚だと思います。」 「その感覚を働かせると、彼は俺に好意を持ってる、と。」 「そうですね。」 「でも、俺は普段通りにしていればいいってことですよね。」 「はい。わざと疎遠にすることも、贔屓することもないと思います。ただ、ほんの少しだけ、注意深く見てあげてください。彼がもし、塾を休みがちになったり、あなたに直接的な行動、たとえばストーカー的なこととかですね、そういった話に進んでしまうようなら、やはりそれは見過ごすわけには行かないので、我々にも相談してください。」  ストーカーだなんて、そんなことにはならないと思いながらも、和樹は「分かりました。ありがとうございます。」と礼を言った。  和樹は久家のアドバイスに従い、今までよりは少しだけ明生に注視した。そうしてみると、明生は確実に自分のことを目で追いかけていた。だからと言って何を仕掛けてくるわけでもない。……この子がもし、俺に恋愛感情があるとしても、それはほのかな淡いものなのだろう、と和樹は思った。自分の初恋だってそんなものだった。そこから告白しようとか、交際に発展させたいとか、そんなことまで思わなかった。今日は会話ができた。今日は学校外で見かけた。その程度の、些細なことで満足だった。  明生は賢いのだとも思った。久家が言っていたように「うまく隠していた」。明生は元々目立つタイプではないから、視線を送る先が常に特定の人物だとしても、誰もそんなことは気に留めなかった。そこ止まりでいる限りは、この気持ちは許される。明生はそのことを察知しているように思えた。菜月や例の中3の女王様が和樹にまとわりついている時には、決して彼女たちの邪魔はしない。和樹が本当に忙しくしている時にも近づかない。和樹と話す機会があっても、講師と生徒を超える質問はしない。不自然に見えないように、慎重に行動していた。それが意図的なものか、生来の性格なのかは分からなかったけれど、おそらくは後者なのだろう、と和樹は思った。 ――涼矢もこういう子だったんじゃないか。家庭教師に恋した時。先輩に恋した時。密やかに、注意深く、誰にも自分の想いを悟られまいとして。  明生を見るにつけ、そんな思いが浮かんだ。 ――そんな時、相手にどうしてほしかった?  できることなら、直接涼矢にそう聞いてみたかった。けれど、あれだけ「中には和樹を好きになる子もいるだろう、気を付けろ」と釘を刺された手前、簡単に聞くわけにも行かなかった。それに、宏樹の生徒の件もあった。ゲイかもしれない子がいるとして、その子と涼矢が「同じ」ではないのだと。 ――これは俺の問題であって、あいつの問題じゃないもんな。  和樹はそう決心した。涼矢の過去の傷を思うと、その責任に押しつぶされる気もするが、それを浮上させてくれるのもまた、明生だった。明生は熱っぽい目で和樹を見るが、その恋をどこか楽しんでいるように見えた。少なくとも、同性を好きになったことに苦しみ、悩んでいるようには見えない。逆に塾に来れば都倉先生に会える、そんな張り合いとして自分を見てくれているように思えた。それならそれでいいじゃないか、と和樹は思った。そうだよ、明生が『今日は都倉先生と話せた』、そんな風に喜んでくれる恋心なら、それで満足してるなら、いいじゃないか。何の問題もないじゃないか。あの子は涼矢とは違うし、俺だって涼矢の初恋の相手とは違うんだ。  涼矢もまた、大学2年生になった。サークル活動もアルバイトもしていない涼矢にとって、大して変わり映えのしない新年度が始まった。  哲とはたまに顔を合わせた。会えばしゃべるし、時には学食でランチを一緒に食べることもあった。ただ、千佳や響子と共通の科目はなくなり、彼女たちと会う機会はぐんと減った。哲のほうは相変わらず文学部の講義に潜り込むことがあるらしく、哲を通じて彼女たちの近況を聞くこともあった。 「今度さ、ハウスで鍋パーティやるから来いよ。」と哲が言った。ハウスというのは、現在哲が住み込みで働いている外国人向けのゲストハウスのことだ。「月に2回、滞在している人中心にみんなで食事するんだよ。参加費は食費の頭割り。だいたい1,000円行かないよ。」 「へえ。そういう時って、英語?」 「うん、英語。たまぁにフラ語とかスペイン語も飛び交うけどね。」 「それにしても、この時期に鍋?」 「真夏以外は鍋だって。急な人数の増減に対応できるし、日本の食文化でもあるから。」 「ふうん。」

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