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第566話 まだあげ初めし (6)
「でも、メンバーによってさ、カレー鍋になったり、中華鍋になったり、おもしろいよ。この前はトマト鍋に餃子入ってた。美味かったけど。」
「今のバイト、おまえの性に合ってそうだな。少し健康的になった感じする。」
「俺? 太ったかも。」
「うん。もっと太っていい。」
「向こう行ったら、ぶくぶく太るぜ、きっと。」哲は笑った。
「留学の審査通ったら、いつ出発?」
「夏休み入ったらすぐ。入学前に語学スクールで少しブラッシュアップして、正式な入学は9月、かな。」
「そうか。」
4月になって初めて顔を合わせた日に、涼矢は哲から留学の話を聞いた。哲が希望しているのは、やはり涼矢がこっそり調べた留学コースだった。それ以降、ずっと穏やかな会話しかしていない。哲は涼矢に触れることをしなくなり、卑猥な冗談を言うこともなかった。
「パスポートは?」
「持ってる。高校の修学旅行、台湾だったから。」
「そういうのは、ちゃんと参加してたんだ。」
「俺をなんだと思ってんの。普通に高校生らしいこともしてたよ。なんたって生徒会長だったんだからさ。」
「そうだったな。……おまえがヨーロッパ行ったら、千佳が淋しがるな。」
「おまえは?」哲は涼矢を見上げた。「おまえは淋しがってくれないの?」
「楽しみだよ。」
「俺がいなくなることが楽しみかよ?」
「おまえが持ち帰ってくるものがだよ。知識とか、経験とか、そういうものが。出会った人のこととか、見てきた景色とか、帰ってきたらそういうのが聞けるかと思うと楽しみ。」
「勉強地獄らしいけどな。すげえ量のレポートやらされるって。」
「どんな地獄だったかってのも聞きたい。」涼矢はニヤリとした。
「鬼だな。」
「……頑張ってこいよ。」
「言われなくてもそうするっつの。まぁ、受かればの話だけど。」
「合格を祈ってるよ。」
「嘘ばっか。……いや、本当か。厄介払いできるんだもんな。」
「その通り。」
「否定しろよ。」
そんな風に談笑していると、稀に2人を見てヒソヒソと噂話をする学生もいた。最近は涼矢と哲がつきあっている、という噂がどこからか出ているのだった。千佳たちと行動を共にする時間が減り、哲と2人でいる時間が増えた影響もあるかもしれない。だが、そんな噂もそのうち夏休みに入りでもすれば自然消滅するだろうと見込んで、気にせずにいた涼矢だった。そもそも夏休みが明けた頃には哲もいなくなっている。
「さっきの鍋パーティって、いつ?」
「一番近いのは、今週の土曜日。」
「行こうかな。」
「へえ。」哲は目を丸くした。「断られるかと思った。」
「なんで?」
「俺の誘いは断るのがデフォじゃん。それにそういう初対面の人ばっかりの集まり、嫌がりそうだから。」
「そう思ったのに誘ったんだ?」
「そう、ダメ元でね。……田崎には見せておきたかったから。」
「何を?」
「俺が、ちゃんとやってるってこと。」
「なんだよ、それ。」
「真面目に、健康的に、楽しくやってるってところをさ。そういうとこ、見せておかないままいなくなったら、おまえの夢見が悪くなるんじゃないかと思って。」
「なんだか恩着せがましいな。」涼矢は苦笑した。
哲はフフッと笑う。「土曜日、夕方。4時ぐらいから仕込み始めて、食べ始めるのは6時ぐらいからかな。まあ、時間は適当だから好きな時に来てよ。」
「調理、手伝う?」
「あそっか、おまえ料理出来るんだもんな。うん、来られるなら来て。六三四も来てくれるかも。時々手伝いに来てくれんだ。」
「まだ交流あったのか。」
「あいつは厨房メインでね。でも、少し中国語も分かるから、そっち系のゲストがいる時は結構助かってる。」
「楽しそうだな。」
「田崎がそんなこと言うの、似合わないなあ。」
「俺が楽しみにしてるって意味じゃないよ、おまえが楽しそうっつってんの。」
哲は涼矢を見て微笑んだ。「楽しいよ。やっと居場所見つけたって感じで。」
「アリスさんのところは居心地悪かったのか? そうは見えなかったけど。」
「いや、あそこはあそこで良かった。甘やかしてもらって、構ってもらって。言うなればあれが俺のベビーベッドだ。あの時の俺にはああいう場所が必要だった。でも、ずっとベビーベッドにいるわけには行かないじゃん?」
「今は?」
「幼稚園かな。いろんな人がいる。いくら親しくなっても、一生つきあう人はほとんどいないと思う。けど、無駄じゃないって思う。……親しくなると言っても、変なことはもうしてないよ?」
「そうか。」
「うん。それと、すごく安心するよ。アリスさんのとこは、家族じゃん。腹違いとか種違いとかあってもさ、やっぱり家族。俺はどうしたって部外者でさ。でも今は、みんな他人だから。みんな旅行者で、一時的に同じところに寝泊まりするだけの関係。言葉も宗教も肌の色も、何の共通点もない。だから、ホッとするんだ。みんな部外者で、同じ立場だから。」
「そう、か。」
「きっと、おまえもそうだったろ? どこにいても自分だけ疎外感。」
「……ああ。」
「そういうのがね、ないんだ、今は。だから楽だよ。」
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