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第571話 まだあげ初めし (11)
ただ、哲は駐車場まで見送りに来た。「今日、どうだった? 少しは楽しめた?」
「ああ。やっぱおまえのほうが断然英語できんのな。知ってたけど。」
「だいたいのことはおまえより優秀なはず。」
「そうだけどさ。」
「まぁ、7月まではここにいるし、良かったらまた来てよ。隔週の週末、こんな感じのことやってるから。」
「……ああ。」
「えらく素直で変な感じ。」
「おまえがだろ。」涼矢は運転席に乗り込み、窓を開けた。「おまえが余計なことしなきゃ、俺たちは最初からこんな感じで友達やれたんだ。」
「そうかな?」
「そうだろ。」
「だって俺、今、すごーく我慢してんだよ? 我慢の上に成り立つ友情なんてクソだろ?」
「我慢なんかするかよ、おまえが。」
「してるってば。今だってそこから引きずり出して抱きついてチューしたいのこらえてる。なのにおまえ、ケリーに易々キスされちゃって、ホントむかつく。都倉くんに言いつけてやる。」
「キスって、ほっぺただろ。挨拶だろ。」
「じゃあ、俺も挨拶していい?」
「ダメに決まってる。」
「そう言うと思った。」哲は腰を屈めて、少しだけ涼矢に顔を近づけた。反射的に涼矢が後ずさる。「馬鹿、なんもしねえよ。……あのさ、俺、ちゃんと頭冷やしてくるから。」
「え?」
「1年離れてりゃ、どうにか治まるだろ。そんで、1年後に、生まれ変わった俺を見てよ。向こうの弁護士資格ぐらい取っちゃってさ、おまえなんか足元にも及ばなくなってるかも。」
「……ああ、是非そうなってくれ。」
「その時になって俺に惚れても、手遅れかもよ?」
「ねえよ。」
「はいはい、そうですか。」
「じゃな。」涼矢が窓を閉めると、それを合図のようにして哲が一歩後退して車から離れた。やがて車が動き出した。
3日か4日に来ると言っていたはずの正継が、予定を早めて4月の29日に戻ってきたのは誤算だった。その分早く札幌に戻るというわけでもなく、そのまま連休最終日の6日までいると言う。急な休講のふりをしてドサクサまぎれに和樹のところに行くつもりだった涼矢は、ひとしきり言い訳を考えたが、特に妙案も浮かばない。
「2人で温泉宿に行くんじゃないの?」正継が入浴しているタイミングを見計らって、佐江子に聞いた。
「3日からね。30から2日まで、私は仕事なのよ。あんたも来る? 今なら追加できると思うけど。」
「いや。俺もそのへんから出かけていい? 休講多いみたいだし。」
「どこに?」
「東京。」
「あらそ。」佐江子には和樹のところに行くと伝わったようだ。「いいけど、1日ぐらいお父さんの相手してあげてよ。あなたに会いに戻ってるんだから。」
「おかしいだろ、もうすぐハタチの息子に会いにくるって。」
「いいじゃないの、別に。」
風呂から上がってきた正継に、佐江子はあっさりと「涼矢も3日から都倉くんのところに行くんだって。」と伝える。
「大学あるって言ってなかったか?」正継は佐江子に聞き返したが、涼矢が答えた。
「あるけど、休講多いし、成績には関わらない。」
「きみがそれでいいなら、構わないが。」その答えを聞いて安堵した瞬間に、正継は佐江子に向かって言った。「私たちの旅行先も東京に変更しようか?」
「えっ、ちょっ。」
「冗談だよ。」正継は表情を変えずにそう言い、自分で水割りを作り始めた。「佐江子さんも飲む?」
「飲む。」佐江子は頷いて、だが、手伝うわけでもない。
「明日の晩の食事はつきあってくれるかな。」正継は言った。
「どこ。」
「Zホテル。都倉くんとの思い出の。」
「その話を蒸し返さないなら、いいよ。」
「了解。」正継はにやりと笑い、水割りを呷った。
数日間の"親孝行"をこなし、結局涼矢が和樹の元に出発したのは、3日の朝だった。
和樹からは、「講義があるから留守にしているかもしれない。その時は勝手に鍵を開けて部屋で待っててくれ」と言われていた。案の定和樹不在の時間帯に到着して、涼矢は言われた通り合鍵で中に入った。「ただいま」も「おかえり」も一時おあずけとなってしまったが、そんな訪問の仕方が許されることが嬉しくもあった。
涼矢は和樹の部屋を見回した。今回はだいぶ片付いている。涼矢が来ると思って多少は気遣いをしたようだ。それ以外は前回来た時とほぼ変わらないが、前よりも書籍が増えているように思われた。小説の類よりも、大学の講義で使うのであろうタイトルの本、それに塾のテキストが目立つ。高校受験の過去問集などもある。
暇つぶしに過去問集を開いてみた。一瞥した限りでは、数学は今でもそう悩まずに解けそうな気がするが、古文の品詞分解などになると思い出すのに苦労しそうだった。こっそり別添の解答集を見ては、「ああ、そうだった。」と思う。別に「こっそり」見る必要もないのだけれど、つい、そんな気分になる。
そうこうしていると、ドアがガチャガチャと音を立てた。和樹が鍵を開けているのだろう。すぐにドアは開いて、和樹の姿が目に飛び込んできた。
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