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第572話 まだあげ初めし (12)

 正月は分厚いコートを着ていた和樹だが、すっかり春の装いだ。満面の笑みを浮かべて、「よう。」と言いながら、もどかしそうにスニーカーを脱いだ。 「おかえり。」と涼矢が言い、それを聞いて和樹も慌てて「ただいま。」と言った。  涼矢は棚に過去問集を戻し、和樹のほうを改めて向いた。両手を広げると同時に、和樹がそこに飛び込んできた。「ただいま。」ともう一度言う和樹の頭を、涼矢は撫でた。それからお互いの背に腕を回して、しっかりと抱擁しあった。和樹が唇を寄せれば、涼矢もそれに応えて、2人は長いキスをした。 「そう、こういうんだと思ってた。」抱き合ったまま、涼矢の肩に顔をこすりつけるようにしながら、和樹が言う。 「ん? こういうって?」 「初めてここ来た時、おまえ、やたら緊張してて目を合わせようともしないし。その次は、アポなしで、夜中にずぶ濡れで。でも、遠恋してて、久しぶりに会うんだったらさ、こういう感じだろ、普通に考えて。」 「やっと普通?」 「うん。」 「そっか、ごめん。」 「別におまえが悪いわけじゃないけどさ。」  涼矢は和樹の前髪をかき上げて、露出した額にキスをする。「髪、伸びたね。」 「床屋代、ケチってんの。でもそろそろ限界かな。あ、そうだ、おまえが切ってよ。」 「できないって。やったことないもん、髪切るとか。」 「坊主の時はどうしてたんだよ。俺、あれは自分でバリカンやってたぞ。」 「床屋。」 「毎回? すぐ伸びるだろ。」 「毎回床屋。」 「お坊ちゃまは違うねえ。」和樹は笑いながら涼矢から離れた。 「佐江子さんもそういうの不器用だし。」 「金で解決することは金で解決か。」 「まあ、そういうことだ。」  涼矢は勝手知ったるキッチンに立つ。「紅茶でも飲む?」 「コーヒーじゃなくて?」 「お土産にこんなの、持ってきたから。紅茶のほうが合いそう。」涼矢が出して来たのは、Zホテルの焼き菓子セットだ。 「あ、これ、前にも。」 「そうそう、あのホテルの。この間親父と行ってきたんだ。で、これでも持っていってやったらって。」 「ごちそうさんです。前の時は、俺、食い損ねたんだ。俺は豪華ディナー食べてきたんだらいいでしょって、ほとんどおふくろが食べちゃった。好物なんだってさ。」 「でも、俺としてはお菓子よりこういうのがいいんじゃないかなって思って、結局両方買ってきたんだけど。」涼矢はガサゴソとキャリーケースを物色した。取り出してテーブルに並べたのは、Zホテルの名前が冠されたスープの缶詰やカレーやシチューのレトルトだ。 「おお、高級食材。」 「まあ、これは、俺がいない時の非常食で。」 「もったいないもんな。」  そんな会話をしているうちにポットの湯が沸き、涼矢は紅茶を淹れた。そのティーバッグも涼矢が買って来たものだ。  ティータイムを楽しみながら、涼矢が尋ねた。「バイトは?」 「今日は休み。明日は学校もバイトもある。明後日は両方ない。」 「了解。……和樹、どれ食べる?」 「え、どれでもいいけど。」 「マドレーヌとフィナンシェとフロランタンとダックワーズとスノーボールクッキー。」 「だから、どれでもいい。」 「俺、フロランタン食べていい?」 「いいよ。どれがそれ?」 「これ。」涼矢はそう答えると同時にフロランタンを取り、個包装の袋を破った。 「じゃ、俺、これにしよ。」和樹はマドレーヌを手にした。「あー、美味いな、やっぱ。」 「あと、適当なお惣菜も、例の如く作ってきたから勝手に冷蔵庫にしまった。」 「サンキューサンキュー。めっちゃ助かる。」 「自炊してないの?」 「してるよ、そこそこ。肉野菜炒めみたいなもんぐらいだけど。」 「お、偉い。」 「もっと褒めて。」  涼矢は手を伸ばして和樹の頭を撫でた。「偉い偉い。」 「入院してさ、ちょっと考えたりしたわけよ。」 「ん?」 「退院してしばらくの間、揚げ物とかこってりしたものはあんまり食べられなくてさ。そういうのだめだと、外食やコンビニ弁当も選択肢ほとんどないじゃない? 結局兄貴が買ってきてくれたレトルトおかゆ食べて、それもなくなってからは、ふりかけごはんか、かけうどんばっかり食べてた。」 「言ってくれれば、何か送ったのに。」 「そうやってさ、俺が倒れても、涼矢が元気ならなんとかしてくれるだろうけど、問題は逆の時だよ。涼矢の具合が悪い時に、役立たずなのは嫌だなって思った。せめて最低限のものは作れるようにしなくちゃって。」 「それで自炊頑張ってるんだ?」 「そ。」  涼矢は再び手を伸ばして、和樹の頭をくしゃくしゃと撫でまわした。「偉い偉い。」 「それはもういいよ。」和樹は照れ笑いをしながら、涼矢の手を払った。 「じゃあ、今日の夕飯は和樹の手料理をごちそうになるかな。」 「ええー。」和樹は不満の声を上げた。「久しぶりに涼矢のごはん、楽しみにしてたのに。オムライス食いたい。オムライス作って。ふわとろのじゃなくて、ラブ注入のほう。」 「駄々っ子かよ。……いいけどさ。」 「やった。」 「じゃあさ、オムライス作るから、和樹は野菜炒め作ってよ。」 「台所狭いし。」 「野菜炒め先に作りなよ。その後、俺がオムライス作るから。」 「はいはい、分かりましたよ。作りゃいいんでしょ。」

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