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第579話 まだあげ初めし (19)

 ぼんやりとそんなことを考えていたら、バスルームの扉がガタガタと鳴った。和樹が外からノックしたのだと分かったのは、すりガラス状の半透明の扉に和樹の影が浮かんでいたからだ。 「大丈夫か?」  涼矢は慌ててシャワーを止めて、内側からドアを開けた。「大丈夫だけど。」 「なかなか出てこないから。シャワーの音はずっとしてるのに、なんかやってる気配はないし、倒れてるんじゃないかって。」 「ああ、ごめん。そんなに? ボーッとしてただけ。」 「それならいいけど。……なげえなーと思ってさ。まさかこのタイミングでシコってるわけないし。」 「それはないだろ。」涼矢は笑いながら立ち上がった。「出る。」 「うん。」和樹が入れ替わりでバスルームに入り、涼矢は洗面台の前の狭い脱衣スペースで着替えた。 「おまえ、全裸で来た?」と涼矢が言った。 「もともと真っ裸だったし、どうせシャワー入るし。」 「もし本当に倒れてたら、全裸で救護活動?」 「まぁ、そうなるわな。」 「和樹、裸族って言ってたもんな。」 「最近はそうでもなかったんだけど。」 「風邪ひくなよ。」涼矢がドライヤーにスイッチを入れ、和樹がバスルームの扉を閉めたので、会話はそこで途切れた。  涼矢が髪を乾かしきらないうちに、和樹は出てきた。カラスの行水もいいところだった。 「早過ぎない? ちゃんと洗ったの、それで。」 「洗ったよ。髪伸びたから、前より時間かかるっての。」それでも涼矢の半分の長さもない。「おまえよく、そんな頭してられるな? 面倒じゃない?」和樹が涼矢の髪に触れようとすると、涼矢は瞬時によけた。 「今セットしてるんだよ。触るな。」 「天パだっけ。」 「そこまでじゃない。でも、少しクセあって、ちゃんと乾かさないとはねる。」 「うちにいる時ぐらい、ボサボサでもいいのに。」 「一歩も出ないならいいけど、突然買い物行こうとか喫茶店行こうとか言うだろ、おまえ。」 「ああ、喫茶店。行きたいね。明日……は無理かな。明後日、行こ。」 「うん。」涼矢は再びドライヤーをつけて、最後の仕上げをした。その間に和樹も部屋着を着る。 「ここ、縛っちゃえば。」和樹は鏡越しに涼矢に言う。サイドから後方の髪を指差しながら。 「1回縛ってみたら変だった。山奥で陶芸やってる気難しい人とか、そういう。」 「おまえらしくていいじゃない?」 「どこがだよ。」 「全部をひとつに結ぶんじゃなくてさ、半分だけ。ハーフアップって言うんだけど、そういうのも似合いそう。これだけ長さあったらできるよ。」 「そういうのは自分の頭でやれよ。俺、どうせ自分じゃできないし。」 「この長さじゃ無理だし、どっちにしろもうすぐ切るよ。切りたくて仕方ないんだ。だから、涼矢の頭さ、明日、じゃなくて明後日か、喫茶店行く時にやらせてよ。」  食い下がる和樹に、涼矢は「分かったよ。」と苦笑した。  それから2人は、ようやく遅い夕食にありついた。すっかり冷めきった料理を軽く温めて、オムライスの玉子はパサつき、野菜炒めは逆に水分が出て味がぼけていたが、そのことについては触れずに黙々と食べた。  結局この日はテレビをつけることもなく、静かに夜が更けていった。 「明日はあんまり一緒にいる時間ない。」ひとつ布団にくるまって寝る寸前、和樹が言った。 「でも、明後日は一日空いてるんだろ?」 「うん。」 「明日はゆっくり、自分の勉強でもするよ。」 「また勉強か。」 「しょうがないよ、俺は哲みたいな。」天才肌とは違うんだからと言いかけて、黙り込んだ。 「そこまで気にしてねえよ。」和樹が笑った。 「ごめん。」 「謝られると余計ムカつく。」 「じゃあ、どうすれば。」  和樹は涼矢を凝視した。「そうだなぁ……。」和樹は突然体を起こすと、涼矢を上から押さえ込んだ。「明日は、俺がこっちな。」 「え。」 「せいぜい準備しとけ。」そう言って笑うと、和樹は元の位置に戻った。  翌朝は予告通り朝からバタバタと忙しそうな和樹だった。大学の後、いったん帰ってから塾へ行く、と言う和樹に、涼矢はわざわざ戻らなくてもいい、と言った。去年、そうやってほんの20分ほどの滞在時間しかなかったことを思い出したのだ。 「今日は4限までだし、中学生だから授業の開始時間が遅いんだ。前の時よりは余裕ある。」と和樹が説明した。 「じゃあ、なんか食べるもん、作っておく。」 「うん。ありがと。ヤッてる暇はないけどな。」 「またそういう……。」和樹を諭しかけて、言い直す。「食わないでそっち優先すればいいだろ。」 「足腰立たなくなったら授業できねえよ。」和樹は出かける準備を終えると、玄関に座りこんでスニーカーの靴紐を結び始めた。 「どれだけハードなことする気だ。」涼矢はその和樹のすぐ背後に立つ。立ち上がった和樹がくるりと涼矢を振り向いた。間近に迫った顔を見て、涼矢は昨晩の言葉を思い出す。「今日はおまえが上だったな。」  和樹のほうが忘れていたようで、一瞬キョトンとしたが、すぐに思い出したようだ。「おう、そうだ。」と何故だか偉そうに言う。それに調子づいたのか、和樹のほうから手を伸ばして涼矢を強引に引き寄せ、キスをした。「行ってきます。」 「うん、行ってらっしゃい。」

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