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第580話 まだあげ初めし (20)
大学に着いて教室に入る。席は自由だけれど、新学期が始まって約1ヶ月、自然と定位置が決まってきた。後方のいつもの席に向かうと、その隣を定位置としている渡辺がいた。
「うぃーす。」と渡辺が手の平を見せたので、和樹もそれに手を重ねて、ハイタッチをする。
「眠そうだな。」とろんとした顔の渡辺を見て、和樹が言った。
「ああ、昨日、姉貴一家が来て。甥っ子と夜中までゲームやったり。」
「お姉さんいるんだ?」
「うん。山梨に嫁行って、連休だから孫連れてジジババに顔見せに来たってわけ。」
「世間は休みだよな。」
「大学も休みにすりゃいいのに。」
「ほんとほんと。」
「……って言う割には、機嫌いいじゃん?」
「そうか?」和樹は表情をひきしめる。
「あ、もしかして、来てるのか? 例の。」
和樹はそれとなく周囲を確認する。小声なら聞こえなそうだ。「うん、まあ。」
「へえ。いつぶりに会ったの?」
「正月に俺が帰省して以来。」
「うわ、久しぶりじゃん。」
「まあね。」無表情に徹したいが、つい口元がゆるんでしまう。
「今日、ここには来てないの?」
「来ないよ。」
「会いたかったなぁ。顔、忘れちゃった。背が高いのは覚えてる。」
「正直、面倒だからさ。ほら、舞子ちゃんだの彩乃ちゃんだのと顔合わせたら。」
「ああ、確かにな。バーベキューの時だってカッコイーって騒いでたもんな。」
「え、そうなの?」和樹は初耳だった。
「女の子たちでしゃべってたの、聞こえたよ。都倉くんが連れてきた人、カッコイイねーって。」渡辺は「聞こえた」と言っているが、おそらくは積極的に聞き耳を立てていたのだろう。
「そうなんだ。」どういう顔をしたらいいか分からない。涼矢を褒められるのは面映ゆく、少し嫉妬もする。
「でも、ちょっと怖いとも言ってたな。」
「ははっ。」渡辺のその一言で、ようやくいつもの調子を取り戻した。
「俺の印象では、そう怖い人って感じもしなかったけどね。」
「怖くないよ、全然。でも、高校の頃からそんな風に言われてた。あんまり笑わないし、無口だから。」自分の前ではそうでもないけれど、と心の中だけで思う。
「高校の同級生だっけ。」
「うん。部活も一緒で。あ、その時はまだそういうんじゃなくて、ただの友達だったんだけど。」
「ふーん。」渡辺はシャーペンをくるくると回しながら和樹を見た。
「なんだよ。」
「なんか楽しそうだなぁと思って。」
「は?」
「うちの母親が孫を自慢する時みたいな顔してる。」
「おまえのお母さんかよ。」
「いや、そこじゃなくてさ、そいつが可愛くて仕方ないって顔。」
「え……そんな顔してる?」
「してる。」
「可愛いって、アレだよ? おまえも、あいつがでっかいことだけは覚えてるんだろう?」
「でかいというより、細長いって印象かな。」
「どっちでもいいけど、おかしいだろ、俺が、アレを可愛いって。」妙に恥ずかしくて、早口でこんなことをまくしたてた。
「甥っ子、デブっててゲーマーのオタクで美少年でもなんでもないけど、うちの親は可愛い可愛いって言うぞ。」
「それとこれとは。」そこで講師が入ってきて、黙るしかなかった。
運がいいのか悪いのか、次の講義も渡辺と同じだった。2人でぶらぶらと次の教室に向かう。
「なあ、そういえばさ。」渡辺が歩きながら尋ねてきた。「浮気したんじゃなかったっけ。」
「あー……。」どうしてそのことを渡辺になど言ってしまったのかと、今更ながら激しく後悔した。色恋のことに関しては記憶力もいいらしい。「浮気ってほどのものではない、けど。」
「でも同じベッドで寝たんだろう? あれっ、それって、その相手は、女の子ってこと?」渡辺は、いつもの渡辺らしい無邪気さで、そんなことを言い出す。
「その話はしたくない。」婉曲に言ったところで渡辺には通用すまいと思い、和樹ははっきりとそう言った。
「トラウマ?」
「まあな。」
「でも、今うまく行ってるなら、そんなトラウマ級のことも乗り越えたってことだろ?」
「乗り越えたって言うか……。仕方ないなって。別れたくないなら、飲みこむしかない。」
渡辺のことだから、ごちゃごちゃと自分の意見を押しつけてくるのではないかと身構えたが、渡辺は予想外のことを言い出した。「そうだよ。別れたくなかったら、相手が悪くてもなんでも、土下座してでも、手離しちゃだめだ。」
「なんか後悔した過去でもあんの?」
「ある。」
「トラウマ級の、話したくない話?」
「そう。……でも、都倉は俺に田崎くんのこと教えてくれたから話そうかな。」渡辺は時計を見た。「まだ少し時間あるよね。ちょっといい?」人気のない、階段の陰に行く。渡辺はそこで壁にもたれかかるように立った。和樹はそれに向き合って立つ。「俺の初めての彼女の話。小学校からの同級生で、家も近くて。幼馴染みってやつ。」
「いいじゃん。」
「中3の時、その子のほうから好きだって言われてさ。でも、そのすぐ後、入院しちゃって。って言うか、入院すること分かってて、だから最後にって、告白してくれた。」
「最後?」
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