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第583話 まだあげ初めし (23)

「人が死んでも、腹は減るし、明日は来るし、次の恋をするんだなって思った。悪い意味じゃなくて。……俺はそこまで身近な人を亡くした経験はなくて、そういう話聞いたって、気持ち分かるよなんて言えない。でも、そういう経験した人が、ちゃんと腹減って飯食って、前向いてるとホッとする。おまえも、渡辺も、辛いことあっても頑張っててすげえなって思うし、俺もこの先、大事な人がこの世からいなくなるぐらいの辛いことあっても、頑張れそうな気がする。」 「頑張るも何も、生きてりゃ腹は減るからな。」 「うん。腹減って、食って、出して、また減って、食って。その繰り返しで。でも、そういうの繰り返して生きてれば、また誰かと出会うし、新しい経験もする。それって、誰かが死んじゃったとしても、その人の生きてたことの意味がちゃんと残ってるってことだと思う。渡辺の中にも、おまえの中にも亡くなった人の何かは残ってて、それが生きてくエネルギーになってて、そうやって、回っていくんだなって。こどもがいたら、もっと直接的につながってくものなんだろうけど、そうじゃなくても。そういう意味では、2人ともすごい経験してんだなって思った。でも、おまえにとってのおまえの初恋の人と、渡辺にとってのその子と、それぞれの間にあったもんはきっと違ってて、残ってるもんも違う。渡辺とおまえが似たような経験したからって、それは同じ経験じゃない。……はは、また何言いたいんだか分かんなくなってきた。」和樹は再び茶碗を手にして、食事を再開した。 「そういうの、俺もよくある。」涼矢も笑い、がんもどきに箸を伸ばした。「でも、人に話してるうちに考えまとまるってこともあるから、しゃべってていいよ。」 「メシ食う暇がなくなるから、また、後でな。電車ん中で考えておくよ。」 「うん。」  しばし、2人は食事に集中した。食卓の上がおおかた空になったところで、和樹が言う。「これ、帰ってきたら洗うから、シンクのとこに置いといて。」 「洗っておくよ。」 「俺、今日、何もやってないからさ。」 「いいよ、俺こそずっと暇してるし。」 「そう? じゃ、お言葉に甘えて。」 「うん。」  そう言いつつ、和樹は空いた皿をシンクに持って行く。だが、言葉通り、それ以上のことはしなかった。ただシンクを前にしばらく佇み、やがて口を開いた。「こういうこともね、おまえとつきあってから考えるようになった。」 「洗い物?」 「違うよ、さっきの。……なんて言うのかなぁ、すごぉく大袈裟な言い方するなら、どうして人は生きるんだろう、みたいなこと。自分のしていることの意味ってなんだろう、とか。そういうの、おまえとつきあうまでは、考えたことなかった。」  涼矢は返事をしなかった。和樹のほうも見ていなかった。もう何もないテーブルをただ見つめていた。 「こういうこと言うと、おまえはまた、余計なこと考えるかもしれないけど。俺が涼矢とつきあってなきゃ考えなくてもいいことだった、なんて言うかもしれないけど。」  涼矢はそこでやっと和樹を見た。でも、何も言わない。そのことを、和樹はもう、意外とも思わなかった。 「おまえとつきあったおかげ、だからな? 俺、涼矢と出会ってなかったら。つきあってなかったら、すごく薄っぺらい人生だったと思う。」 「そんなことはないよ。」涼矢は即座にそれを否定した。「俺とこうなってなくても、和樹はちゃんと、それどころか、今よりもっと。」 「でも、俺は今がベストだと思ってるから。」和樹は台布巾の代わりにペーパータオルを湿らせて、テーブルに戻ってくると、その表面を拭いた。 「俺も、今がベストだけど。」涼矢が小声で呟いた。  和樹は微笑んで、涼矢の頬にキスをした。「後でそれ、もう1回聞かせて。」 「……もうそろそろ、時間だろ。」 「あと5分。」 「支度しろよ。」 「支度する時間抜きで、5分ある。」 「5分で何しろと?」 「何言ってるの、いろいろできるだろ?」和樹は涼矢があぐらをかいているところに、いきなり乗っかり、座り込む。服は着ているものの、対面座位の体勢だ。腕を涼矢の首に巻き付けて、キスをした。涼矢が嫌がるそぶりはなく、それどころかすぐに和樹の背中に腕を回した。 「こういうことされても、5分じゃ。」 「あと4分。」和樹はわざと股間を涼矢に押し付けた。 「これから、センセイ、やるんだろ?」 「そうだよ。大丈夫、そういう気持ちの切り替えは早いから、俺。」涼矢に口づける。 「気持ちは切り替えられてもさ。」 「うん。勃っちゃいそ。」 「……1回、ヌいとく?」 「おまえがしてくれるの?」 「いいよ。手でも、口でも。」 「……ううん、いい。」和樹は涼矢に回した手を更にきつくする。「しばらくこのまま、ぎゅっとしてて。」 「分かった。」  そうして数分が経過すると、和樹はすうっと体を剥がして、立ち上がった。「じゃ、行ってきます。」  何事もなかったようにそう言う和樹に、涼矢もまた、至って普通に「行ってらっしゃい。」と言い、見送った。玄関でのキスは、ほんの軽いものだった。

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