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第591話 花ある君と (5)

 和樹は笑って「心配ない、大丈夫だよ、明生は。でも、一応釘は刺しとくか。」と言った。それから明生のほうを向き直る。「隠してるわけじゃないけど、言うと、傷ついたり、嫌な気持ちになったりする人もいるから、ね。」  釘を刺すという言葉、それから、この明生への言葉。そのどちらも、「明生は和樹と涼矢の関係を知っている」という前提でしか出てくるはずのないものだった。どういうことだと涼矢が和樹に問い詰めたくなったその時、明生が「分かった。」と言った。  そこで別れるのかと思いきや、和樹は明生にアイスを奢ってやる、などと言い出した。明生はそれに口止め料ですかと言い返し、見た目によらず生意気なことを言う子だなと涼矢が思うと同時に、和樹もまた「おまえ、生意気なこと知ってんな。」と言った。 「お邪魔だし、いいです、そんなの。そんなことしてくれなくても、みんなには黙ってます。」  お邪魔。そんな表現もまた、自分たちの関係を知っている裏付けに感じる。だが、当の和樹はそれをさして気にしている様子はない。仲の良い兄弟のように、明生の額を指で軽く弾いて、「こういう時は素直に奢られとけ。な?」と先輩ぶった言い方をした。  ふいに涼矢はそれらすべてが腑に落ちる。和樹の言う通りなのだ。この子は「大丈夫」なのだ。和樹が俺たちのことを教えてもいいと判断した、そういう子なのだ。その理由なんかどうでもいい。和樹はきっと、この子を信用し、可愛がっているのだ。和樹は性善説の楽天家だが、だからといって誰でも彼でもすべてを晒すようなことはしない。大学の一番親しい友達に俺たちのことを打ち明けるのさえ、1年以上かけたのだ。その和樹が俺に紹介し、また俺のことを紹介したということは、そういうことだ。そしてきっと、俺にも和樹と同じく、この子を信用し、可愛がってほしいと思っているのだろう。  そう思って改めて明生を見る。まっすぐな目で涼矢を見ていた。「都倉先生はこんな風に言ってくれてるけど、いいのかな? あなたは嫌じゃないですか?」、そう問いかけているようだった。この子もまた、和樹を心から信用してくれているのだ、と涼矢は感じた。――だからこそ、こんな風に俺にまで気を使っているのだろう。いじらしい。こんな顔されちゃ、和樹だってこの子が可愛いだろうな。 「甘えておけば?」と涼矢は言った。 「アイスっつか……おまえも腹減ってるんだよな? どっかサ店入るか。」和樹はキョロキョロとあたりを見回す。少し先にカフェがあるのを見つけると、明生に尋ねた。「俺たちもちょっと腹減ってきたところだからさ、あそこ入ろう。時間大丈夫?」 「あ、はい。ただぶらぶらしてただけだから。」明生は遠慮がちに答えた。  喫茶店に入ると、和樹は奥のソファ席に2人を座らせ、自分は明生の向かいの椅子に座った。メニューを明生に勧めながら「アイスじゃなくてもいいよ。なんでも、好きなの。飲み物も。」  明生はメニューを最初のページから順にめくる。途中からは涼矢にも見えるように真ん中に広げた。そんな気の利かせ方から、涼矢は明生を思っていたより年上かもしれない、と思いはじめた。 「中学生?」と涼矢は明生に聞いた。 「はい、中1です。」  1年生か。最初の外見ではそんなものだろうとは思っていたけれど、今となってはこれだけ機転がきいて、まだそんなものかという印象だ。「そっかぁ、若いなぁ。」と思わず呟く。 「若いっつか、ねえ。小中学生向けの塾だから、みんなこんなもんよ。今のバイト始めてからというもの、自分がとてもオジサンになった気分。」和樹はそう言って苦笑いした。「でも、明生は、その前のスイミングで会ったのが最初だよな?」 「そう、去年。小6の時。」  スイミングと聞いて、涼矢も和樹のそのバイトの話を思い出した。ついでに、かつて市民プールでニワカの水泳教室をやった時のことも。「そういや、スイミングのコーチやったって言ってたな。でもさ、和樹が、スイミングのコーチって……。」話しながらつい笑ってしまう。『シュッとやればいいんだ』『もっとガーッと手を動かすんだよ』そんなことばかり言って、こどもたちをキョトンをさせていた和樹。教えてやると安請け合いをしたのは和樹なのに、結局涼矢が教えるはめになった。「明生くんだっけ? この人のコーチで、泳げるようになった?」  涼矢が笑いをこらえながらそう尋ねると、明生は反対に少しムッとした表情を浮かべた。「はい。すっごい泳げるようになりました。僕本当に、全然泳げなかったんです。けのび5メートルがやっとで。それが、クロールで25メートル泳げるようになって、全部都倉先生のおかげです。」  その勢いに涼矢のほうが気圧される。この子は本当に和樹のことが好きなのだと思い、からかうようなことを言って悪かったと思う反面、明生の言うことが事実なら、和樹はあの日から随分と変わったようだ、と思った。それを少し淋しくも思う。自分の知らない内に成長していく和樹。「人は成長するんだね。」と呟いた。

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