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第592話 花ある君と (6)
そうこうしている内に、それぞれの注文の品が並んだ。小腹の空いていた涼矢だったが、この店は甘味系ばかりで食事系のメニューがなく、辛うじて一番それに近いベーコンエッグの添えられたパンケーキだ。和樹も同じくパンケーキだが、こちらは苺やブルーベリー、そしてたっぷりの生クリームが載っている。明生はレアチーズケーキを頼んでいた。見た目も地味で、価格的にもパンケーキより安いそれを頼んだ明生に、和樹は何度か本当にそれでいいのかと念押ししたけれど、明生はこれが好きなのだと譲らなかった。
実際のところ、好物は好物だったようで、明生は目の前のレアチーズケーキに「わあっ。」とこどもらしい歓声を上げた。それから落ち着かない様子で両手をこすりあわせながら「僕、今日誕生日なんです。」と言った。
和樹はそうと知っていて喫茶店に誘ったのだろうか。涼矢は和樹の顔を見たが、和樹もびっくりしている様子だ。「先に言ってよ。だったらもっと豪華なケーキにしたのに。こっちのパンケーキのほうが華やかじゃん、取り替えてあげようか?」などと言っている。どうやら和樹もまったく知らなかったようだ。
「でも、ケーキは、家でもたぶん食べるから。」と明生は言った。
和樹は少しホッとしたように笑って、「そうか、ちゃんとしたバースデーケーキはおうちの人と食べたほうがいいよな。」と答えた。
まだ誕生日を家族で祝う年頃か。涼矢は眩しい気持ちで明生を見た。まだ5月に入ったばかり。中学生になって間もない少年。その頃の自分との差に想いを馳せた。
――渉先生に淡い恋をして、そして、失って。恋愛対象が同性であることに狼狽えて、その対象の死に動揺して。それを誰にも言えずにいた、その頃の自分。それに引き替え、この明生という少年は、きっとそんな苦しい思いなどせず、毎日元気に学校に通い、塾にも行き、そこの塾の先生にちょっと憧れて。それは俺のあの人への想いとは違って、もっと純粋な、屈託のないものに過ぎないのだろう。スポーツ選手や芸能人に憧れるのと大差ないのだろう。
そんなことを考えていると、「せっかくだから、ハッピーバースデーでも歌うか。」と和樹が言い出した。
「え、いいですよ。お店だし。」恥ずかしそうに明生が言う。
「周りにお客さんいないしさ、大丈夫だよ。じゃ、せーの。」和樹が小声で歌い出した。それで涼矢が歌わなかったら明生が気にするだろう。仕方なく涼矢も和樹に合わせて歌った。「ハッピバースデートゥーユー。」最後まで歌い切ると、2人で小さく拍手もした。「おめでとう、明生。」ニコニコと和樹が言う。
「あり……がとう、ございます。」明生は恥ずかしそうにうつむいて言った。
それを微笑ましく眺めているうちに涼矢はふと思い出した。「そう言えば、なんで明生くん、俺の誕生日知ってるの。」それを聞けば、和樹と明生の関係性ももっとはっきり分かるだろう。そう考えた涼矢だったが、返事は意外なものだった。和樹と明生は2人して顔を見合わせてニヤニヤしだしたかと思うと、しまいには涼矢に向かって「しーっ」と人差し指を立てたのだ。
しかも明生は「それよりも、名前、知らないんですけど。」と、言い出した。
「ああ、言ってなかったね。彼は、田崎くん。」和樹がまた平然と答える。
どうやら2人して何やら共謀しているようだが、ここでたじろいだら負けるような気がして、涼矢もそれ以上の追及はやめた。「ご挨拶が遅れました。田崎涼矢です。都倉先生と同じく、大学2年生です。」と明生に向かってわざと丁寧過ぎるほど丁寧に答えた。中学生相手に大人気ない気もしたが、当の明生は何故だか嬉しそうにその自己紹介を聞いている。
それから明生が2人は同じ大学なのかと尋ねてきたので、和樹が実家のある県の高校の同級生であることや、今回はわざわざそのX県から来てくれていることなどを説明した。更に高校では同じ水泳部だったことに話が及ぶと、涼矢はまた思い出し笑いをした。
「この人ね、ひどいんだよ。プールでさ、勝手にそのへんにいた小学生集めて、水泳教えてやるみたいなこと言い出して。そのくせ、もっとガーッと行けとか、ちゃっちゃっと動かせとか、わけ分かんないことしか言わない。みんなポカーンとしてるから、仕方なく俺が全部教えてさ。」
涼矢が明生にそんなネタばらしをすると、和樹は怒るどころか愉快そうに笑いながら、「うん、あの経験が実に有意義で、大いに役に立ったよ。」などと言い、明生に「なあ、俺の教え方、そんなに悪くなかったよな?」と話を振った。
明生は笑うことなく、むしろ和樹を必死に庇うかのように言った。「悪くないどころか、最高でした。あんな短期間で泳げるようになるなんて全然思ってなかったです。」
「ほら涼矢、よく聞いておけ。」和樹は胸を反らせてそんなことを言う。
「はいはい。でも、今度は塾講師やるなんて言うから、びっくりした。」
「おい、生徒の前で、変なこと言うなよ。」
「何の教科、教えてるんだっけ?」
「メインは国語。」
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