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第593話 花ある君と (7)
「あれ、経済学部って社会じゃないの?」
「教職で取れるのはそう。俺も最初は社会希望だったけど、理社はもともと授業数が少ないから講師足りてるんだよ。だから、国語担当になった。たまに代講で社会担当することもあるけど。」
「そうなんだ。まあ、国語ならいざとなったらお兄さんに聞けるしね。」涼矢はそこまで言うと、明生に向かって、和樹の兄が国語教師であることを伝えた。
それを聞いた和樹が「中学の国語ぐらいなら兄貴に頼らなくても教えられる。」と不服そうに言う。
言葉とは裏腹の、こどもじみた表情に涼矢は笑った。「明生くんの前だからって。」
「だってさ、兄貴とそんな会話したことないよ? 俺が質問するとしたら塾のほかの先生たち。」和樹は明生に同意を求めるように言う。「小嶋先生の授業とか、すごいよな? 分かりやすいし、丁寧だし。」
「はい。あと僕、教室長の授業も好きです。」
「えっ、そうなんだ。教室長の授業も見学させてもらおう。でも、教室長ってちょっと怖くない?」
「怖い時もあるけど、でも、ちゃんとしてれば怒らないから。教室長、絵が可愛いんです。」
「絵なんて描くの?」
「そう、ぴょんたろう、っていうウサギのキャラがいて、それ教室長の考えたキャラで、問題解く時に、ぴょんたろうが時速10kmで走ってるとしたらとかって言いながら、そのウサギを描いて図解してくれるんです。」
「へえ、知らなかった。」
「和樹もオリジナルキャラ作れば?」と涼矢が言う。
「俺、絵、下手だもん。そうだ、おまえが俺にも描けそうなキャラ、考えてよ。明生、こいつね、絵がすごく上手なんだ。」
「そうなんですか。……でも、あの。」
涼矢が何か言いたそうで言えないでいる明生に笑いかける。「ん? どうした?」
「都倉先生は、授業も、最高です。分かりやすいです。」そんな言葉を、明生は和樹のほうは見ずに、涼矢に向かって訴えた。
涼矢はあることに気付いた。さっきから明生と自分はよく目が合う。隣に座る明生がしゃべれば自分は明生を見るし、逆に自分がしゃべれば、明生はこちらを見てくれる。けれど、真正面に座る和樹の顔はまともに見ようとしない。
「明生くん、ステーキでも食べるかね?」明生におだてられて、和樹はふざけた口調でそんなことを言った。そんな場面でも、明生はうつむきがちに、少し頬を赤らめているだけだ。「おっと残念、ここにはステーキはなさそうだ。いちばん高級なのは、えーと、デラックスフルーツパフェ。あまおうを丸ごと1個トッピングだって。これ、食べるかい?」和樹が大袈裟にメニューを広げて見せても、明生の態度は変わらなかった。
「和樹、おまえ本当にノリがオジサンになっちゃってるよ。今時ごちそうがステーキって。」涼矢が話し出すと、明生は顔を上げ、しっかりと涼矢のほうを向いて、見つめてくる。
「うっせえな、今だってステーキはごちそうだろ。俺はね、涼矢みたいなブルジョワとは違うんだよ。なあ明生、このお兄さんね、金持ちなんだよ。ここはこの人に奢ってもらおうな。」
「奢るのは構わないけど、明生くんにカッコいいとこ、見せられないよ。いいの?」
そんな軽口をたたき合っていると、明生は大人びた口調で「あ、僕が払いましょうか。今年の親からの誕プレ、現金だったから、ここの分ぐらい、払えますよ。」と言い、財布を取り出す素振りまでしてみせた。それが冗談であることは分かっていたが、一丁前にそんなことを言う明生に、和樹も涼矢も笑ってしまう。そして、その時でさえ、やはり明生は涼矢に向かって言葉を発しているのだった。
和樹が明生に向かって話している時の、うつむきがちな、少し緊張した横顔。和樹が涼矢に向かって話している時にだけ、チラチラと盗み見るように視線を送る。でも、和樹が明生のほうを向くと同時に、また慌ててうつむく。そんな時はテーブルの下で両手の指をせわしなく絡ませたり離したりしているのが、隣に座る涼矢からは見えた。
和樹と目が合うのを避けている。自分に向けて話しかけられると落ち着きをなくす。でも、自分を見ていない時はそっと盗み見る。和樹に対する、明生のそういった態度が見えてくるにつれ、涼矢の心がざわついた。
――この子は、もしかしたら。俺とは違う、と思ってたけど……もしかしたら。
「俺、ちょっとトイレ行ってくる。」和樹が立ち上がった。
和樹は店内を見渡す。だが、トイレの表示板が見当たらないらしい。レジのほうに歩いて行く。そこにいた店員にトイレの所在を尋ねているようだ。やがて店員の示した先の、店の奥に消えていく和樹。その一部始終を、明生は熱っぽい目で見つめていた。さっきまで目の前にいた和樹には、そんな視線は決して送っていなかったのに。顔を上げて、まともに和樹の顔を見ることすらできなかったのに。
涼矢の「もしかしたら」が確信へと変わっていく。
――この子、和樹が好きなんだ。俺の予想よりも、もっと、ずっと……。
少し胸が痛い。かつての自分の苦しみを思い出すことも、少年の想い人が、だからといって譲るわけにはいかない、「和樹」であることも、胸に刺さる。和樹は気づいているのだろうか。塾の教え子たちにもモテていることは推測できたし、実際チョコもいくつかもらったという話は聞いた。だが、こんな「男の子」に、尊敬以上の好意を向けられているなどとは、一言も聞いたことがなかった。
考え過ぎだろうか。それならいいのだけれど。そう思いながらも、和樹の姿が見えなくなったほうを、まだじっと見つめたままの明生を見ると「想像通り」のような気がしてならなかった。
「明生くん、自分のスマホ持ってる?」半ば衝動的に、涼矢はそう言った。涼矢の手には既に自分のスマホが載っている。
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