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第594話 花ある君と (8)

 明生は一瞬キョトンとした後に、バッグからスマホを出した。涼矢が空いているほうの手をスッと差し出してきたので、明生は無意識にそのスマホを渡してしまう。 「連絡先、交換しよ。」と涼矢は言いながら明生のスマホをいじりだす。「王様の耳はロバの耳って叫びたくなったら、連絡して。」 「……え?」明生は事態が呑み込めないでいるようだった。 「親にも友達にも和樹にも言えない、でも、誰かに聞いてもらいたい。そういうことがあったら、いつでも。役に立つアドバイスなんかできないけど、気持ちの吐け口ぐらいにはなれると思うんで。」  涼矢は明生にスマホを返した。明生はまた無意識にそれを受け取ると、「言ってる意味がよく分かりません。」と言った。  意味が分からない。そんなことを言うのは、俺には打ち明けたくないからか。それとも、明生自身、和樹への恋心を自覚していないからなのか。突然勝手なことをやりだした涼矢に、不信感を抱いたらしい明生を見つめ返しながら、涼矢は考えをめぐらす。――明生の気持ちがどうであれ、自分がこんなことをしたのは、この子を「守りたい」からだ。真新しいスマホは、きっと親に買ってもらったばかりなのだろう。まだ使い方もろくに知らないせいか、それとも、親がいつでもチェックできるようにするためか、操作ロックすらかかっていない。それほどまでに、まだ親元で庇護されていて当然の「こども」なのだ、明生は。このまま無防備に「同性に恋すること」と向き合わせたくない、と涼矢は思った。かつての自分の孤独を、この少年には味わわせたくなかった。 「それならそれでいいよ。ま、なんかあった時に思い出して。」涼矢は明生に微笑みかけた。  完全には納得できないと言いたそうな表情を浮かべつつも、明生は頷いた。そんな時に和樹がトイレから出てきて、席には座らずにバッグから財布を出した。涼矢があげたばかりの、あの二つ折りの財布だ。それだけ持って、キャッシャーに向かっていく。涼矢と明生も帰り支度を始める。座席に残された和樹のバッグは、会計を済ませた和樹が待っている、店のドアのところまで涼矢が持って行った。和樹はそれを当然のように受け取り、3人は店外へ出た。 「じゃあ、また塾でな。」と和樹が明生に言った。 「はい。ありがとうございました。ごちそうさまでした。」明生は礼儀正しくお辞儀をした。この時ばかりは和樹のことをきちんと見ている。涼矢のこともチラリと見るが、何も言わない。 「じゃあね。」と涼矢から言うと、明生は小さく頷いた。  そうして明生は駅の方へ、和樹たちは商店街の更に先へと、逆方向に別れて歩き出した。  念願の「商店街の端」まで行き着く。特に何ということもなかった。ただ頭上のアーケードがなくなり、道一本隔てた向こうには店がほとんどない。それだけのことだった。2人はまた来た道を戻り始めた。行きに目星をつけておいた日用雑貨の店へ入り、まずは風呂の椅子を選んだ。それからアイロン台はないかと尋ねると、店員は記憶をたどって「あるとしたらこの辺り」と店の一角を探し始めた。ようやく最後のひとつと思われるアイロン台が出てきて、特に問題なさそうだったのでそれも買うことにした。かなり長いこと店の奥に放置されていたらしいそれは、パッケージが黄ばんでいる。中身は問題ないけれど、と言いながらも、店員は端数の金額をおまけしてくれた。リモコンなどを入れるボックスについては、100円ショップで見繕った。  2人でそれらをぶらさげて、再び電車に乗る。電車の中で「考えてみりゃ地元で買えば良かったんだよな。」と和樹が言った。 「えっ、何か考えあってのことじゃなかったの。この商店街のほうが安いとか品揃え豊富とか。」 「品揃え豊富じゃなかったじゃん。それなんかラス1だったし。まぁ、ちょっと安く買えたけど。」和樹は涼矢が手にしているアイロン台を顎で示した。 「だったら、重い思いして電車乗ることなかった。」 「だよな。って、今、俺も気が付いた。なんか、せっかく行くなら、あれもこれもって思っちゃって。」 「でも、あの商店街、楽しかったよ。」 「ああ。明生にも会えたしな。」 「……あの子ね。素直な、良い子だね。」涼矢はそれだけ言った。思うところはいろいろあるけれど、今はまだ推測の域を出ないことばかりだ。それに、和樹のいない隙に連絡先を交換したことを教えたくなかった。何故「いない隙」だったのか。目の前でそうしたって、おそらく和樹は何も言わなかっただろう。でも、普段の涼矢ならそんなことはしないのに、とは思うだろう。そんなことから和樹が明生の想いに気付いてしまうかもしれない。――そうなったって、さすがにあの中学生に和樹を奪われる心配はしていないけれど。心配なのは明生のほうだ。一生懸命秘めている想いを、俺なんかに暴かれていいはずがない。じゃあ、どうしてやりたくてあんなことを言ったのか。守りたいと思ったのは事実だけど、どうやって守ればいいのかなんて分からない。その答えが分かるまでは、和樹に何も知られたくない。

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