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第595話 花ある君と (9)

「ああ。スイミングの時から、真面目でコツコツ。積極的に前に出るタイプじゃないけど、努力した分は確実にモノにしていくんだよな。……涼矢タイプだな。」  そこに余計な意味はないと知りつつ、和樹の言葉にドキリとする涼矢だった。明生と自分の共通項はそれだけではない、かもしれないのだから。 「和樹の塾って、悪ガキはいないの? 不良。ヤンキー。」なんとなく話題をずらした。 「塾にはちゃんと来る子だからねぇ、そこまでヤンチャってのはいないな。逆に、いつも競争させて、成績順に席が決まるような進学塾でもないしね、のんびりマイペースな子が多いかな。問題抱えてる子がいないってこともないけど。不登校とか。」 「学校には行かないで、塾には来るってこと?」 「そう。まぁ、そういう子はベテランの先生が担当するから俺は詳しくないけど。」 「小さい塾って聞いてたけど、いろいろいるんだね。」 「ああ、そうだな。全部の問題を解決できるわけじゃなくても、ちょっとは助けになってるんならいいなって思うよ。」  電車が西荻窪に着いた。2人はいったん会話をやめて、改札口に向かって歩き出した。そこも抜けて、和樹のアパートに向かう。さっきの話の続きをしたほうがいいのだろうか。涼矢は少し考え込んだ。言いたいことも聞きたいこともあるけれど、どちらも明生の「恋」と関わっている。  涼矢が何も言い出せないでいるうちに、和樹のほうが切り出した。「ほんと、いろいろな問題を抱えている子がいてさ。不登校の子は担任の先生が苦手なのがきっかけだって聞いた。文字を書くのが極端に苦手な子もいる。そういう障害があるんだって。それから、家庭の事情もいろいろあって。」 「うん。」ひとまず、相槌を打つ。 「たぶん、同性が好きって子もいる。」 「……。」それは明生のことを指しているのか、それとも、一般論として。涼矢はとっさに返事が出来なかった。 「でもさ、塾だから。学校でも人生相談所でもない。できることが限られてる。しかも、俺は知識も経験もなくて、何の役にも立てない。」 「そんなことはないだろ、和樹、人気者の先生なんだろ? チョコだってもらってさ。」 「うん。大抵は嫌われてはいないと思うよ。でも、浮ついた人気だよ。受験した子たちだってさ、合格したーって駆け寄るのも、落ちちゃったーって泣きつくのも、俺じゃないんだ。こどもってちゃーんと見てるんだ。」和樹が少し淋しそうに笑った。「せめてね、そういう……特に男を好きになった男の子とかさ、力になってやりたいって思うけど。力になるっていうか、おまえだけじゃないぞ、とか、そんなの、ちっともおかしくないんだぞ、とかね、言ってやりたいけど。でも、そういう子って自分から言わないことが多い、だろ?」和樹はチラッと横目で涼矢を見た。 「まあ、少なくとも俺は、言える子じゃなかった。」 「そうかなって思う子はいる。」和樹の言葉に、涼矢はまたも動揺させられる。「兄貴と同じパターンだ。そうかなって思っても、本人が助けてって言わないものを、踏み込んでいいのか迷う。それでつい、俺の時はこうだった、あの時おまえはこう言った、って俺たちの今までのこと、重ねちゃう。でも、おまえ、言っただろ。おまえはゲイ代表じゃないし、勝手に同一視するなって。……だから、気を付けてる。その子はその子で、俺とも涼矢とも違う人間なんだって、自分に言い聞かせてる。」 「その話ってさ。おまえが、そうかなって思ってる子って。」  いつの間にか2人は和樹のアパートに着いていた。外階段で2階に上がり、両手がふさがっていた和樹は、風呂椅子を地べたに置いて鍵を開けた。部屋に入り、ひとまず買ってきたものを玄関先に並べた。 「その子って。」と涼矢が重ねて言った。「俺の知ってる子?」  和樹は笑った。「だとしたら、1人しか該当者いないよな?」 「あの子って、そうなの?」 「分かんないよ。そうかなって思った。それだけ。さっき言ったみたいなこと考えて、それで結局、何もしてやれてない。」  涼矢は黙ってアイロン台の黄ばんだ包装を外し始めた。 「おまえはどう思った? 特に何も、思わなかった?」和樹は容赦なく聞いてきた。別にキツイ言い方をしたわけではないが、涼矢にとってはいささかキツイ質問だった。 「和樹のことが好きなんだなって思ったよ。」 「どういう風に?」  涼矢はアイロン台をスチールラックと壁の隙間に差し込んだ。折りたためば数センチの隙間に入る薄さだった。「恋愛対象として好きかってこと?」 「……まあ、そうだ。」 「それは分かんないな。すごく憧れてるんだろうなとは思った。」 「そっか。じゃあ、そうなのかな。」 「ちょっと待てよ。言ったよな、俺は別に」  和樹は涼矢にかぶせるように言う。「ああ、分かってるってば。参考意見ってだけだよ。どうしても、ひとりよがりになっちゃうからさ。それに、明生はスイミングの時からの生徒だから、どうしても身内みたいな気になって、客観視できなくてさ。」  和樹はついに「明生」と具体名を出してきた。やっぱり和樹自身も、確証はないものの、明生の気持ちを察していたようだ。

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