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第601話 adolescence : moratorium (1)

「あいつが何考えてるのか、全部は分かんないけどさ。……あいつには、いくら頑張っても無理なことがあるって思わせたくないんだよな。まだ中1のガキだもん、努力したらその分、良いことあるって思ってていいだろ。」  明生にかつての涼矢のような思いをさせたくない、とは和樹は言わない。その無意識の優しさに、いつも涼矢は救われる。 「俺も筋トレ再開するかな。」涼矢が呟く。 「なんだよ、突然。」 「筋トレなら、努力したらその分の成果が表れるだろ? おまえに体力で負けるのも悔しいし。」 「ははっ。」和樹は声を立てて笑った。「あのな、俺、ジョギングもしてるから、最近。筋トレにプラスして、ジョギング。ほら、前に行った公園、あそこでたまに走ってる。」 「すげ。やってるじゃない、自発的行動。」 「そんなすごいもんじゃないよ。うちの学校、体育は1年の時だけ必修でさ。2年は任意なんだ。取っとけばよかったなって後から思ったよ。体動かす機会、全然なくなっちゃって、それで。」 「俺のとこは2年も体育必修。」 「何やんの。」 「1年の時は武道って決まってて、俺は弓道選んだ。2年は、なんていうのかなぁ、身体のコンディションを整える、みたいなの。1時間で体重を1kg落とす方法を考えろって言われて走りまわったり、いい睡眠の取り方とは何かを考えるために1時間昼寝させられたりする。」 「なんだそれ。」 「そういう授業なんだよ。実体験しながら、自分の体とどう向き合えば良いコンディションでいられるのかを理解するっていう。面白いよ。」 「で、1年は弓道。振り幅がすごいな。」 「柔道とか剣道は中高でやったことあるし、けど、弓道はこんなことでもなければやる機会なさそうだったから。」 「名前も涼矢だしな。」和樹は笑った。「由来は弓矢みたいに真ん中を目指す人になれ、だっけ? 的、当たった?」 「ど真ん中は無理だった。端っこ当てるまでは行ったんだけどね。難しい。」 「涼矢、なにげにチャレンジャーだね。」俺だったら、やったことがあるからこそ、柔道や剣道を選んでしまうだろう。知らないことに挑戦するより、失敗しないでいられるから。 「そんなことないよ。エミリじゃあるまいし、うちの大学の体育なんて遊びみたいなもんだからさ。」 「まあな。うちもそうだ。」答えながら、ちょっとだけ自分が情けなく感じられる和樹だった。「エミリはホントすげえよな。俺はもう泳ぐのは趣味で良い。」 「俺も。」涼矢は横目で和樹を見る。「そもそも、おまえがいるから水泳部入っただけ。」 「それだけの動機で、あのキッツイ部活、よく続けられたな?」 「だっておまえがやめないんだもの。」 「俺かよ。」 「先に俺がやめて、おまえに根性ない奴って思われるのも嫌だったんだよ。おまえがいる間は絶対残ってやるって思ってた。そしたらいつの間にか副なんか任されて、やめるにやめられなくなって。」 「あれって、奏多に頼まれて?」 「だけじゃないけど。顧問だったり、先輩だったりの意見でもあるって言われた。」 「すげ、信頼されてるじゃん。」 「信頼じゃなくて、文句言わずにやりそうな奴にしたんだろ。断るほうがエネルギー使うから受けただけ。」 「そう? 俺、やっぱりなって思ったよ? 奏多が部長で、おまえが副って聞いた時。ああ、それなら俺らの学年は安泰だって思ったの、覚えてる。」 「何だよ、安泰って。」涼矢はそう言いながらも照れ笑いをしている。 「安心して任せられるというか。」 「ほんとに?」 「本当だよ。2人ともしっかりしてるし、ブレないし。奏多の説教は勘弁してほしかったけど、もっともなことしか言ってなかったしな。」 「あれはおまえが悪い。サボってばっかりで。」 「だからもっともなことだ、って言ってるだろ。」  涼矢はクスッと笑う。食卓にはきれいに空になった食器が並んだ。自分が作って持ってきた、根菜中心の、彩りも大してよくない茶色い惣菜ばかりの食卓だった。新たに作ったのは豆腐の味噌汁だけだ。それでも和樹はきれいに平らげて、そんなささやかなことがどうにも嬉しい。  和樹は空の食器を涼矢の分まで片付けはじめる。「おまえは説教もしなきゃ余計な無駄話もしなくて、とっつきにくかったけど、奏多がうるせえからちょうど良かった。」シンクに皿を運びながらそんなことを言った。 「はは。」とっつきにくかっただろう。和樹は特に。恋愛対象として意識していることを悟られたくなくて、ライバルとして意識しているふりをした。いや、「ふり」ということでもない。恋人になれないなら、せめてライバルとして、和樹の心のどこかに存在していたかった。  では、恋人になれた今となっては、ライバルである必要はなくなったかと言えばそうでもない。和樹と張り合う気持ちはある。和樹が頑張るなら、自分はそれよりもっと頑張って先に行っていたい。和樹が食器を洗ってくれる流水音を聞きながら、涼矢はそんなことをぼんやりと思った。 ――和樹より先にいたい。和樹よりももっと、大人になりたい。

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