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第603話 adolescence : moratorium (3)

「俺なんか受けようとすら思わなかった。柳瀬、兄貴の後輩だよ。まったく、田舎は世界が狭くて困るよなあ。」  宏樹の出身大学なら、それはつまりアリスの後輩でもあるのだ、と涼矢は思ったが黙っていた。――まったく、田舎は世界が狭くて困る。 「英司は結局どうなったんだっけ。東京の大学受けたんだろ?」と涼矢が聞いた。 「大学は全滅。二浪はできないって、地元の専門学校行ってるはず。」 「なんの?」 「会計? 簿記? なんかそれ系。」 「そっか。まあ、二浪するよりそれで資格とったほうが就職する上では賢いかもな。」 「そうだね。俺のとってる会計学の先生も、元は資格取得の専門学校行って、そのままそこの講師になったから大学は出てないんだって。けど、今は大学や企業でも教えてるんだってさ。」 「大学の先生は教員免許関係ないんだっけ。……だよな、大学出てないはずの芸能人が大学で教えてたりするもんな。」 「ま、教員免許取るより人気タレントになるほうが大変だろうけど。」 「和樹はタレントでも先生でもなれそう。兼業してカリスマ講師になったら?」 「なれないって。」和樹は苦笑する。「大学の先生って教えるってより研究者だろ。俺、勉強嫌いだから、研究とかしたくねえ。先生やるなら中学か高校の先生のほうがいいな。」 「宏樹さんみたいな?」 「兄貴は私立の教師だからなあ。公立のほうがいいなあ。安定する。」  和樹の言葉を聞いて、つきあっていた彼女に振られたのも、その不安定さが理由のひとつだと、宏樹自身が語っていたことを思い出した。「宏樹さん、公立は嫌だったのかな。」 「いや、採用試験がだめだった。」 「そうなんだ。」 「また受ければいいんだろうけど、やっぱ、今の学校の生徒にも責任はあるから、しばらくは公立は挑戦しないつもりだって言ってた。」 「宏樹さんらしい律義さだな。」 「うん。」和樹はふと顔を曇らせる。「俺が出て行っちゃったからさ、兄貴は、あの土地から出られなくなった。県外まで広げれば、もっと採用試験が通りやすいところだってあると思うし、私立にしても、例えばラグビーの強い高校とか、そんな風に選ぶことだってできたはずなんだ。でも、兄貴は、親元を離れるわけには行かなくって。」  涼矢は小首をかしげて、吐息をひとつついた。「それは自分のせいだと?」 「思うよ。」 「おまえも律義だね。」床に座っていた涼矢は立ち上がり、ベッドに腰掛ける和樹の隣に並んで座った。「宏樹さん、そんなこと気にしないよ。……うーん、気にしてるかもしれないけど、好きでやってると思う。」 「好きでやってるわけないよ。兄貴は自分より俺とか親のことを優先するんだ。昔からそう。」 「それもひっくるめてさ。そうやって自分より親や和樹を優先するのが、宏樹さんの好きなことで、自分で選んだことなんだと思うけど。」 「だとしたら、損な性格だな。」 「損ではないでしょ。好きでやってるんだから。和樹に東京の大学を諦めさせて自分は県外に出て行くより、自分が親元にいて和樹を東京に送り出すほうが、宏樹さんにとっては良かったんだろ。」 「それは俺に都合よく考え過ぎ。兄貴のことだから、結婚後のこととか、親の老後のこととかまで考えて、俺より自分が親元に残ったほうがマシだとは思ったかもしれないけどさ、さすがにそれを、兄貴が好きでやったことだから知ったことじゃないとは言えねえなあ。」 「そんな言い方はしてない。宏樹さんは、自分が家族のために犠牲になってるなんて思ってないだろって。そう言いたかっただけ。」  和樹は気色ばんで言い返した。「おまえに兄貴の何が分かるよ?」 「なんで怒るの。」 「怒ってねえし。」 「犠牲って言い方が悪かったかもしれないけど、ただ長男だからって親兄弟の面倒見なきゃとか、そんな理由だけで自分の身の振り方を決めないと思うってこと。そんな風に思うほうが、それこそ失礼だろ。宏樹さん、ちゃんといっこいっこ自分の頭で考える人だと思うし。」 「でも、俺は感謝してるよ。大学も、1人暮らしも。実家のことほったらかしでいられるのも兄貴のおかげだと思ってる。」涼矢は和樹の横顔をまじまじと見る。その視線に気付いた和樹が、涼矢を見返す。和樹の眉間に皺が寄った。「なに? 俺、なんか変なこと言ってるか?」 「ううん。」涼矢は和樹の頭を撫でた。「和樹は、いい奴だな。」 「はあ?」 「でも、やっぱり宏樹さんは好きでやってることだと思うよ。俺、おまえが弟だったら同じことするよ。東京の大学に行きたがってるなら行かせてやりたいし、おまえの1人暮らしのために仕送りするのも全然苦じゃない。」 「やめろよ。」と言いながら和樹は頭上の手を払った。撫でるのをやめろと言ってるのか、そんなことを言うなと言ってるのか。両方なのか。「だから嫌なんだよ。いつまでも甘えん坊の末っ子って感じで。」  涼矢はふふっと笑って、再び手を伸ばして和樹の頭を撫でた。さっきよりも激しく撫でたので、和樹の髪がぐしゃぐしゃに乱れた。

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