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第608話 adolescence : moratorium (8)

「そんなわけねえだろ、って言いたそうだな?」 「そりゃそうだろ。年上のお姉様だの、ミスS高だのとつきあってたくせに。」 「元カノの話は禁止。」和樹はつないだ手を自分の口元に持って行き、つないだまま涼矢の手の甲にキスをした。 「俺が告らなかったら、今頃は普通に、例のサークルの女の子と。」 「そういうのも禁止。」和樹は空いているほうの手で涼矢の頭を引き寄せて、今度はその唇にキスをした。 「でもさ。」至近距離で見る涼矢の表情は、いつになく心細そうだ。「なんとも思わないの?」 「何が。」  涼矢のほうが顔をそむけた。「そういう、女の子たちからのアプローチ。」 「なんとも思わないよ。」和樹は呆れた表情で言う。「第一、告られてもいないし。思わせぶりな態度とか、かっこいいですね、っていうお世辞とか、せいぜいそんなので。」 「告白してきたの、いただろ、塾の子。」 「えっ、明生?」  意外そうな声を出す和樹に、涼矢のほうが戸惑った。「違う、チョコくれた女の子。の、つもりだったけど、明生くんも?」 「ああ、そっちか。その子は全然、本気じゃないよ。ただキャーキャー言いたいだけ。あんなガキンチョに俺が手を出すわけないことも分かっててやってるよ、あれは。女ってのはそういうの、本能的に嗅ぎ分けるからな。明生の件は……あいつ何も言わないし、よく分からないけど、憧れのお兄ちゃんってところなんじゃない? って、おまえがそう言ったじゃん。」 「好かれて嫌では、ないよな?」 「誰に?」 「誰でも。サークルの子でも、その、中学生でも。」 「そりゃな。けど、ちょっと警戒するよ。特にサークルの子はね。なんかほら、既成事実みたいなの作られたら嫌だし、サークルにいづらくなるのも困るし、いろいろ詮索されるのも。」和樹はそこで押し黙った。 「バレないかもよ、二股かけたって。遠距離なんだしさ。」涼矢は苦笑する。「なんて、そうだとしても、言わないよな、俺には。」 「おまえそれ、本気で言ってるなら、俺もマジギレするぞ。」 「ごめん、冗談。ちゃんと信じてるよ。」 「哲の悪い癖が感染(うつ)ったんじゃないの。わざと妙なこと言って、相手の気持ちを試すような。」 「ああ、そうかもな。俺いま、あいつしか友達いないからな。」涼矢は笑った。 「やめろって。」和樹も笑う。 「……頑張ってるよ、哲も。」 「へえ?」 「4月の、いつだっけな。あいつのバイト先の。あれ? アリスさんところは辞めた話はしたっけか。」 「した。ホテルで住み込みするって。」 「そう、そのホテル。ホテルって言っても、バックパッカー向きの、安宿。食事は普通はつかないんだけど、たまに、宿泊客と材料費割り勘で鍋パーティーするとかで。それに誘われて行ったんだ。」 「危険。」 「なんで。」 「ホテルに誘われてる。」 「馬鹿、バイト先だっつってんだろ。見りゃ分かるけど、そういう雰囲気のところじゃないから。……とにかくさ、俺も、英語試したいと思ってたから、良い機会だと思って。」 「ああ、英語ね。どうだった?」 「全然。」 「Nice to meet you.」 「それぐらいは言えたけどさ。」 「あと何言うの?」 「大学生です、法律の勉強をしています。」 「うんうん。」 「あとは相手の話を聞いてた。たまに君は?って振られるから、YesとかNoとか言って。最後に話した人とは、結構長く話せたかな。その人もアメリカで弁護士やってて。哲が間に入って、伝わらないところは解説してくれてたから、なんとか。」 「哲、そんなにペラペラなんだ?」 「うん。」 「すげ。」 「うん。」涼矢はベッドに腰掛けたまま、ぼんやりと足元を見ていた。 「哲となんかあった?」 「えっ?」和樹の言葉に、涼矢は弾かれたように顔を上げる。 「その反応が、もう、おかしいもん。」和樹は笑っていた。「何があっても怒らないよ。あいつのすることには、もう、驚かない。」そう宣言することで、その通りにするのだと、自分に言い聞かせていた。もう、哲に振り回されたりはしない。 「何もないよ。」涼矢は再び床に視線を落とす。「その時も拍子抜けするぐらい、何もなかった。俺、鍋の準備から手伝いに行ったんだけど、あの、アリスさんのところの厨房にいた息子も手伝いに来てて。」 「哲と仲良いんだ? 全然タイプ違うのに。」 「ん。親との関係があまり良くなかったって共通点で、気が合うらしくて。」 「ああ、そうか。」 「それで、六三四と一緒に準備して。食事の間は、そうやって哲に助け舟出してもらいながら英語でしゃべったりして。あ、おまえの話もしたな。」 「変なこと言ってないだろうな?」 「言ってないよ。そのアメリカ人、漢字マニアなんだってさ。俺の恋人には平和って意味の漢字が使われてるって教えたら、良い名前だって言われたよ。」涼矢はそこに至るまでの、哲とカップルだと間違えられた話などは割愛した。「そんな話も、哲は、ニコニコ愛想よく聞いててさ。ずっと穏やかで。なんか……すごく、普通の、友達みたいだった。」 「普通の友達じゃなかったもんなあ。」

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