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第611話 adolescence : moratorium (11)

「水の中ならうまくできるかもしれないだろ。」と和樹が言う。 「性格的にも向いてない。」 「性格?」 「協調性ないから、団体競技はちょっと。」 「……ああ。」和樹は笑った。 「すんなり納得すんなよ。」涼矢も笑う。 「ボウリングは個人競技だからいいだろ?」 「和樹、そんなにボウリング好きだった?」 「いや、そうでもないけど、今の話聞いてたらすげえやりたくなった。おまえがへっぴり腰でボウリングやるの、見てみたい。」 「ひっでえの。」 「涼矢くん、何でもソツなくこなすからさ、そういうドジっ子な一面にグッと来るかも。」 「ドジっ子じゃねえし。」 「カラオケもさ。あれだろ、下手ではない、っていう、微妙なやつ。」 「そうだよ、絶賛もされなければウケも取れない、盛り下がるやつ。」 「すげえ想像できる。」 「行くなら、おまえだけ歌えよ。」 「俺しかいないんだから、盛り下がるも何もないよ、好きな歌歌えよ。」 「演歌歌うぞ。」 「いいよ、別に。」 「……ボウリングはまだしも、カラオケはな。絶対笑うよ。」 「ますます聴きたい。」 「もう、知らん。好きにしろ。」涼矢はベッドに横たわっている和樹の隣に、自分も寝転んだ。  和樹はくすくすと笑い続けていた。「絶対行こう、カラオケ。」そう言うとまた笑い出す。  涼矢は肘で和樹の脇腹をつついた。「笑い過ぎ。」  和樹は、その涼矢の手を握り、また、その手の甲にキスをした。「ピアノ弾けるんだし、音痴じゃないだろ?」 「だから余計微妙になるんだよ。音程は合ってる。でもそれだけ。聴いてる人がリアクションに困ってるのが分かる。……なあ、ところでさ。」 「何?」笑い過ぎて涙目になった和樹が言う。 「おまえ、よく……そこに。手のこっち側にキスするけど、なんで?」 「え?」涼矢の手はまだ和樹の口元にあった。和樹がそこに固定するように押し当てていたせいだ。「意味はないけど。」 「それ、なんか恥ずかしいんだよな。」 「なんで? 他の場所と違う?」 「違う。そこって、王子がお姫様にする時に。」 「ああ、跪いて、プロポーズする時とか。」 「そう。」 「プロポーズしてやろうか? 跪いて。」 「いいよ、そんなの。誰が姫だよ。」  和樹は涼矢の手の甲をさする。「俺さ、おまえの手、好きなんだよ。」 「は?」 「なんかね、好き。」 「可愛くとも何ともない。」 「うん。デカいし、筋張ってるし。カサカサしてるし、全然可愛くないな。でも、指が細くて長くて、いかにもピアニストの指って感じ。」 「ピアニストって、手がデカいのはいいけど、指は細けりゃいいってもんでもないらしいよ。ハンバーグにウインナーくっついてるような、厚みのある手のほうがいいんだって。理由は聞かなかったけど、今思うと、筋力の問題って意味なんだろうな。」 「誰に聞いたの、それ。」 「コンクールで時々一緒になった子。他県だったけど、地区大会まで進めばいる子で、何かの時にしゃべったんだよな。俺より上級で、すげえうまかった。俺は地区大会出られたり出られなかったりのレベルで、小学校の高学年になったらもう全然ダメで、その子がどうなったかは知らないけど。」 「へえ。」和樹はまた涼矢の手の甲に唇を押し当てる。「とにかく、俺は今の涼矢の手が好き。」 「変なの。」涼矢は照れくさそうに笑う。 「変だよな。……女の子の手は、すっごく小さいんだ。俺があの、年上とつきあってた時さ。その子も1人暮らしで、今の俺んちの、その玄関と同じで、靴の置き場なんかないから、いっつも玄関にその子の靴、2、3足置いてあって。パンプスとかね、俺のスニーカーと並ぶと、すんごく小さいの。人形の靴かよって。時々すげえ喧嘩とかしたけど、なんかさ、その、小さい手とか靴とか見ると、俺、なに弱い者いじめしてるんだって思って反省した。もちろん大柄な女の子はいるし、俺と靴のサイズが同じ女の子もいるだろうけど、そういう子でも、きっと同じように思ったと思う。」涼矢は何も言わないのに、和樹は急に焦ったように言う。「いや、だから女は常に守らなきゃいけないって言いたいんじゃないんだ。」 「うん、分かるよ。……ちび涼矢に買った靴下も、ままごとみたいだったな。あんなに小さくても生きてて、泣いたり腹減ったりするんだなぁって不思議だった。小さくて、弱々しくて、怖いぐらいだった。」 「でも、この手は、そんな心配しなくていい。」和樹は涼矢の手の指に自分の指を絡めた。「俺よりデカくて、料理も、絵も、ピアノも、なんでもできる手。……俺はさ。俺は。」和樹は何度も言いかけては口籠もった。涼矢が黙って続きの言葉を待っている。「心配はしないけど、俺はやっぱり、この手が大事で、大好きで、守らなきゃって思う。だからって、俺のことも守ってほしいとも思わないけど、いざって時に、俺がどうしようもなくなったら、守ってくれるんだろうなぁ、って安心しちゃってるところも、ある。」 「安心してていいよ。」涼矢もまた、和樹の手の甲に口づけた。「守るよ。……自信ないけど。守れなかったとしても、とりあえず、おまえがだめになった時に、一緒にだめになるぐらいの覚悟はしてる。」 「だめだろ。」和樹は笑った。「でも、いっか。俺も同じだ。」

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