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第612話 adolescence : moratorium (12)
その時、空腹を訴える音が鳴った。2人は顔を見合わせる。
「今の、俺?」和樹が言う。
「俺だと思う。」
「おまえも腹減ってるの?」
「減った。今、突然減った。」
「もう2時近いもんな。腹も減るよな。」
「パスタでも茹でるか。」涼矢が体を起こした。
「いいよ、カラオケ屋でなんか食おう。」
「やだ、ああいうところのメシ、まずいから。」
「贅沢言うなよ。」
「外食するほうが贅沢だろ。」
「すぐできるのかよ?」
「できるよ。簡単な奴なら。」
「大変じゃない?」
「大変じゃない。」
「……じゃあ、お願いします。」
結局涼矢がキッチンに立ち、鍋で湯を沸かし始めた。和樹は通学用の大きなバッグから財布や鍵を出して、別のもっと小さなバッグに移し替えた。かと思うと、いったんしまった財布をもう一度取り出し、中身を確認する。
「金の心配?」と涼矢は調理の手を止めずに言う。
「違う。カラオケ屋のメンバーズカード探してた。あったけど、大学の近くだな。こっちにも店舗あるかな。」後半は独り言のように言い、次いでスマホで検索を始める。「ああ、あるなぁ。駅の反対側だけど。ここでいいや。」
「そんなにしょっちゅう行ってんの。」
「めったに行かないよ。このカードだって、作ったのいつだったかな。随分前。」
「そういうのって……。」言いかけて、黙った。
「誰と行くのかって?」
涼矢は振りむいて頷く。それからすぐに前を向いて、玉ねぎを切り始めた。
「サークルメンバーが多い。クラスの人とも行ったけど、年度初めの時だけだな。あとはなんか、友達の友達とか。よく分からない人。」
「よく分からない人と行くの?」
「だって、勝手に連れてくるからさ。」
「それでも楽しい? ……楽しいか、おまえなら。」
「楽しい時もあるし、微妙な時もある。」
タイマーが鳴り、涼矢はパスタの鍋を傾けて、ざるにあげた。
「うわ、びっくりした。タイマーなんてあったっけ。」
「あったんですよ。あの、明生くんと会った日に、100均寄っただろ。あの時ついでに。」
「タイマーって100円で買えるんだ。」
「プラス消費税で。」ツナ缶を開け、オイルごとフライパンに出す。さっき切った玉ねぎも入れて、炒め合わせる。塩胡椒に顆粒のコンソメ、少量の醤油を垂らす。
「良い匂いしてきた。」和樹はその匂いにつられるようにキッチンにやってきて、くんくんと鼻をひくつかせると、皿とフォークを出した。
涼矢はフライパンにパスタを入れてツナと絡めると、その流れのまま、皿に盛りつける。「ほとんど素パスタだけど。」
「充分。」
「このぐらいなら作れるだろ。」
「作れるかな?」
「作れるよ。玉ねぎとツナしか使ってないし。」そう言って涼矢は2人分の皿をテーブルに持って行く。和樹は慌てて席に着いた。
2人でそんなランチを終えると、涼矢が少々嫌そうに和樹に言った。「本当に行くの? カラオケ。」
「どうしても嫌だって言うならやめる。もっと別に行きたいところある?」
「いいんだけどさ。」
「1曲ぐらい歌えよ。……って、こういうのもハラスメントなんだってな。カラオケの無理強い。」
「苦手な人間からするとどう考えたってハラスメントだよな。先輩とか上司に言われたら、余計。」
「おまえ、先輩とか上司でも平気で断りそうだけどな。」
「俺をなんだと思ってんだよ、俺だって一応、そういうのは気を使う。でなきゃ副部長なんてやらなかった。」
「部活のメンバーでカラオケ行く時には来てたじゃん。あれは先輩も何もいなかっただろ。誰に気を使ってたの? 奏多のわけないよな。」
「あれは。」和樹がいたからだ。和樹がいない時に誘われても断っていた。すぐ近くに和樹がいて、和樹の歌声を聴いていられるだけで幸せだった。それに、密室に少人数でいれば、教室や部活の時には聞けないような話も飛び出した。和樹の口から語られる猥談は時に傷ついたものの、それ以上に昂奮もした。それを顔に出さないように必死だったけれど。
言いかけた口をぽかんと開けたまま止まっている涼矢を見て、和樹は笑い、それからハッとしたような表情になる。「俺?」と自分を指差した。
「そうだよ。」涼矢は目をそらす。「和樹がいたから。それだけ。」
「それなら、俺と2人っきりで行けるチャンス、逃していいの?」少しばかり意地悪そうに口角を上げて、和樹は言う。
「だって、もう、それは……。」
「もうそんなの嬉しくとも何ともないか。手に入れちゃったらそんなもんか。」
「手に入れちゃってない。」
「え?」
「俺、おまえを手に入れたなんて思ったこと、ない。」
「うっそぉ。」和樹はあぐらをかいている涼矢の、その組んだ足の上にまたがり、腕を涼矢の首の後ろに回した。「とっくに、じゃない?」
「俺の反応で遊ぶんじゃねえよ。馬鹿にしてんだろ。」涼矢は顔を真っ赤にして、和樹から顔を背ける。
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