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第616話 adolescence : moratorium (16)

「ホッとした? 和樹に取り入るために好きな振りしてたわけじゃないって分かって。」 「うん。……や、いいんだ。もしそうだったとしても、別にいい。でも、本当は好きでもないのに、無理させてたなら悪かったと思っただけ。」 「おまえに好かれたいからって、嫌いな音楽を無理に聴いたりしないよ。現に漫画は読まなかった。」涼矢は笑った。「このバンドはね、本当に元々好きだった。って言っても日本のバンドってほとんど聴かないから1、2曲しか知らなかったけど。和樹がこれが好きって言ってた時、本当に目の前が明るくなった。同じもの好きで、語れることを見つけたって。だから、まあ、確かに熱心に聴いたのは、おまえが理由ではあるな。」涼矢はテレビ画面に目をやる。今は今月の新曲リストが表示されているようだが、涼矢に見えているものはそれではなく、さっきのラブソングのPVだろう。「特に今の曲は、歌詞も覚えて、そらで歌えるぐらい、聴いた。」それから和樹を見る。「片思いの歌だっていうのも、半分合ってる。1番はそんなイメージだから。でも2番は両想いになってからの歌だ。後で歌詞、確認してみて。」  和樹は自分の耳たぶに手をやる。指先に触れるのはピアスだ。物に関しては、これが良いあれが欲しいなどとわがままな主張を滅多にしない涼矢が、あの時はやけにはっきりとピアスが良いと、それも、(くだん)のギタリストのしていたようなデザインが良い、と言った理由に想いを馳せた。  涼矢の言動にはひとつひとつ根拠がある。自分のように、雰囲気に流されてなんとなく何かをする、ということはなさそうに見える。あの時だって、形ある物をあげたいと言ったのは和樹だった。女の子だったらアクセサリーをあげるところだけれど、と言ったのも和樹だった。だから涼矢がピアスが良いと答えたのは、単なるその場のノリだとばかり思っていた。実際そういう側面もあっただろう。和樹が言い出さなければ、そんな会話はなかったに違いないのだから。でも、それだけではないはずだった。和樹の質問に対する「答え」を、涼矢は常に持っているのだ。それがどんなフェイントの問いであったとしても。 ――ずっと俺を見てたから。 「涼。」和樹は涼矢のピアスの耳をつまんで、軽く引っ張るようにする。自ずと涼矢の顔が近づいてくる。涼矢が何事かと和樹の顔を見た瞬間にキスをした。 「わ。」涼矢はグイッと和樹を押し返した。「ダメだろ、こういうとこって、防犯カメラとか。……あ、ほら、ああいう。」涼矢は天井の隅に設置されたカメラを指差す。 「本番やってるわけじゃあるまいし、キスぐらいで追い出されないよ。」 「で、でも、映像チェックしてるだろ。」 「かもな。」 「誰かに見られるってことだろ。」 「見られても平気だよ。」 「いいのかよ、ここ、大学からそんなに遠くないだろ。知り合いがバイトしてるかも よ?」 「だから、いいって。」 「でも。」 「デモデモうるさいな。俺がいいっつってんだから、いいんだよ。」  涼矢は父親からも「否定から話し始めるのはやめなさい」と諭されたをこと思い出していた。けれど、今は自分のことではなくて、和樹の身の上を心配すればこその「でも」だ。謝るべきなのか考えあぐねて言い淀んでいると、和樹のほうが「ごめん。」と言った。「今の言い方、キツかったな。」 「ちが、キツくない。俺のほうこそ。」 「俺がまだ、みんなに言えてないから、心配してくれたんだよな? ミヤちゃんに教わった。そういうの、クローゼットって言うんだってな。」 「あー……うん。まあ。」曖昧な肯定をしつつも、何かが引っ掛かる。クローゼット。同性愛者が、それを他者に公表していない状態のこと。かつての自分がそうだった。今はと言えば、「オープンリーゲイ」ということになるだろうか。少なくとも親と大学の友人に対してはそうだ。親に関しては、自分からオープンにしたわけでないから、そう名乗ることに若干の抵抗感もあるものの、現状はそういうことになる。 「それはともかく、おまえがそこそこ歌が上手なのも分かったことだし、次の曲入れようぜ。時間がもったいない。」和樹は再びリモコンを手にする。  話題が変わったことに涼矢は安堵し、安堵したことに一抹の罪悪感を覚えた。「和樹、あれ歌ってよ。2枚目のアルバムの……。」だが、何故罪悪感を覚えるのかを掘り下げても、ろくな結論にはならない。そんな気がして、和樹の言うとおり今はこのカラオケを楽しもうと努めた。  結局2時間ほどカラオケ店で過ごし、ボウリングはまたの機会ということに決めて、夕食の買い物をしてから家に戻った。 「歌い出したら、楽しかったろ?」レジ袋を床に置きながら和樹が言った。あの後、渋る涼矢を説き伏せて何曲か歌わせた。最初はサビだけハモらせた。それから男性デュオの曲を2人で。最終的には涼矢は自発的に曲を選ぶまでになった。 「……おまえがおだて上手だから。」 「おだててないよ。普通に上手い。」 「それは普通ってことか? 上手いってことか?」 「中の上ぐらいってこと。」

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