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第618話 adolescence : moratorium (18)

「宏樹さんは使い勝手重視の几帳面さで、俺は見た目重視だから。」 「そう?」 「うん。宏樹さんの部屋の本棚、いかにも後から自分で棚板を増やしましたって感じで、DIY感が漂ってた。あとあの、部屋の鍵。あれも鍵だけ調達して、自分でつけただろ? そういうの、俺はしない。」 「ああ、確かに。」 「見た目のきれいさ優先だと、探したいものがすぐに見つからなかったりするけどね。」 「この部屋は一目で分かるよ。」 「ベッド下から靴下の片方が出て来るのに?」 「あ、そういや掃除してくれたんだな。サンキュ。」  和樹の軽い物言いに涼矢がムッとする。「なんで俺がやって当然みたいになってるんだよ。」 「だって頼んでないし。」 「ひっでえ。最悪。」  和樹は洗っている最中の、泡まみれの皿を掲げてみせた。「俺が皿洗いするのだって当然みたいになってるだろ。」 「メシ作ったのは俺。」 「ハハ。」 「笑いごとじゃねえよ。」 「適材適所。」 「都合良い解釈だな。」  和樹はすべての皿を洗い上げて、最後に自分の手を洗い、タオルでその手を拭った。「うん。都合良いな。」 「まったく。」  和樹は涼矢のほうを見て笑った。「つまり俺、おまえがいないとなんもできないから。」 「……は?」 「面倒見てよ、俺のこと。」言いながら戻ってきて、しかし、元のクッションには座らず、ベッドに乗る。それから涼矢の背後にまでたどりつくと、ベッドを背もたれにしている涼矢を背後からハグした。「一生、そばにいてよ。」 「……嘘つき。」涼矢は和樹を振り返らずに呟いた。 「え? なんて?」 「そんなのずるい、って言ったの。」涼矢は振り向きざまに和樹の腕を外して、自分もベッドに腰掛けた。「フェアじゃない。俺メインで家事をやるのは構わないけど、相応の対価をくれよ。」 「たとえば?」その答えは既に知っている、そう言いたげに薄ら笑いを浮かべて、涼矢を見る。 「いっぺん言ってみたかったんだよね。……『じゃあ、体で払ってもらおうか』。」後半は芝居がかった言い方をした。  和樹は声を立てて笑った。笑って、涼矢にキスをする。「だったらいつもと変わらねえじゃん。」 「うん。」涼矢からもキスを返す。「そうだな。……いつも通りでいいよ。」 ――いつも通りでいい。これからもずっと、このままでいい。  しかし、現実の「いつも」は離れ離れの生活だ。一緒に食事をすることも、ベッドを共にすることもない。この数日間が、いつか「いつも」になればいい。そう思いながら、2人はベッドに沈んでいった。  翌朝は言葉少なな2人だった。それでも「おはよう」を言い合い、キスもした。トーストとハムエッグの朝食に対しては「いただきます」も「ごちそうさま」も言った。だが、その先の会話が始まらない。和樹は、2人で過ごす時にはほとんどつけたことのないテレビをつけた。昨日の野球の試合のダイジェストをやっていた。その左上に小さく表示される天気予報を見て、和樹は「一日中晴れるって。良かったな。」と言った。 「ああ。」心ここに非ずといった風情の涼矢が、適当な相槌を打つ。 「次は夏休みかな。おまえの誕生日前後は試験だろうから会えないけど、プレゼントは送るよ。」 「そんなのいいよ、いつでも。つか、俺の誕プレとか要らないし。もしくれるとしても、安い物でいい。」今朝起きてからもっとも長いセンテンスを口にした涼矢だが、やはりどこか棒読みのような口調だ。 「もう決めたんだ、プレゼント。」 「えっ?」 「昨日決めた。ネタバレしちゃうけど、いい?」 「何?」 「ピアス。ずっと同じやつしてるから、新しいの、欲しくない?」 「あ……。」涼矢は反射的に自分の耳たぶを触った。指先に触れるものと同じものが、目の前の和樹の耳にもある。 「な? いいだろ?」 「……うん。」やはり簡素な答えだったが、さっきまでとは違う、嬉しい感情のこもった声だった。 「サプライズにならないけど。」 「いいよ。サプライズってそんなに好きじゃないし……。あ、でも、デザインは分からないから、そこはサプライズ要素。」 「俺がどんなの選んでも文句言うなよ?」 「言わないよ。」 「どっかの少数民族みたいな、巨大な輪っかかもしれないぞ。」 「和樹とお揃いならいいよ。」 「あ、しまった、そうだった。」和樹は笑う。つられて、涼矢も笑った。 ――良かった、これで笑顔で送り出せる。 ――良かった、これで笑顔で離れられる。  お互い言葉にはしなかったものの、同じことを考えた。 「じゃあ、そろそろ行くかな。」涼矢が荷物を手にした。 「俺も東京駅まで行くよ。」 「いいよ、ここで。」 「行く。」和樹は財布と鍵、それとスマホをジーンズのポケットに入れる。涼矢はもう何も言わない。  2人で西荻窪駅に向かい、電車に乗る。日曜日だから快速は停まらない。中野駅で乗り換える。涼矢はそれを和樹に聞かずとも覚えていて、戸惑うこともない。和樹は上京したての頃、何度も乗り間違えたというのに。だが、そのことにもお互い触れない。

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