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第620話 Dear friends (1)

「ここでいいよ。」改札口の手前で、涼矢は入場券を買いに行こうとする和樹を止めた。「また、すぐ会えるし。」 「2ヶ月もしたら夏休みだもんな。」 「うん。」 「着いたら電話して。」 「ああ。」 「哲にも、留学先で頑張れよって言っておいて。」 「……ああ。」  あの日の倉田も、ホームまで行かずに、この辺りで哲と別れた。最後の最後だけ「(さとし)」と本当の読み方で呼んだ。普段から2人きりの時はそう呼んでいたのか、最後だからと特別な呼び方をしたのかは分からない。哲は初対面の相手にはいつも「テツとかテッちゃんって呼ばれている」と説明して、だからみんな彼をそう呼んだ。哲自身、「さとし」は特別な人にしか呼ばれたくなかったのかもしれない。たとえば倉田。たとえば義父。 「どうした?」と和樹が涼矢の顔を覗き込む。 「ううん、なんでもない。もう、行くよ。」 「うん、気を付けて。」  涼矢は和樹の肩をひとつポンと叩いた。本当にしたかったのは、その後、手を戻す時に偶然当たった振りをして、和樹の頬をそっと撫でることだった。「じゃな。」  和樹は少し淋しそうな笑顔で、手を振った。  6月には正式な学内審査結果が出て、哲の留学が確定した。学部を超えて友人知人の多い哲は、至るところで壮行会を催されていた。そのうちのいくつかには涼矢も来いと引っ張り出される羽目になった。 「行かないよ、知らない人ばかり。」と最初のうちは抵抗した涼矢だった。 「来たほうがいいって。法学院の先輩も来るし。」 「え?」 「岡部ゼミの先輩も来る。な、こういう時に顔つないでおけ。」  すべての壮行会に涼矢を誘っているわけではないことは分かっていたが、誘う場合の哲の目論見がそこにあったことを、涼矢はようやく悟った。哲は大学内で自分の作った"人脈"を、そのまま涼矢に引き継がせようとしていた。  和樹も言っていた。就職に有利だという理由でサークル幹部を務めることも多いのだと。およそそういった「政治的な策略」には頭が回らない、そんな自分に嫌気がさす。そんなことでは弁護士だって立ち行かないことは予想がついた。  それからは哲の誘いは断らないようにした。哲のそんな「引き継ぎ」は、決して涼矢のためだけではないのだろう。1年後に戻ってくる時まで俺の場所をしっかり守っておけよ、という意味でもある。  それとは別の意味の壮行会ももちろんあった。千佳たちが開いてくれた食事会もそうだ。千佳と響子と哲と涼矢。この4人が揃うのは久しぶりのことだった。若者向けのカジュアルなレストランはバイキング形式で、食事量の差を考えて、響子が選んだ店だという。 「哲ちゃん、やっぱりすごい量。」と響子は笑った。料理を各自盛り付けて、ひとまず乾杯をしようと席に着いた時だ。哲の前には山盛りの唐揚げがあった。 「何度も取りに行くの、面倒じゃん。」と哲も笑った。「田崎だって大食いだよなあ。」 「でも、涼矢くんはそんなに山盛りにしてないよ。」と千佳が言った。涼矢の皿は千佳と同じ程度に、前菜が少しずつ盛られている。「哲ちゃん、ヨーロッパに行くんだから、少しは食事のマナーを覚えておかなくちゃ。」 「あのねえ、言っておくけど、知ってるから。バイキングでも、前菜から順番に取っていくものだっていうことぐらい。でも、このメンツでそんなマナーとかルールとか、別にいいでしょ。」 「知ってるならいいよ。」千佳はツンと口を尖らせた。  それから乾杯をした。哲と千佳は誕生日を過ぎて成人していたが、全員ソフトドリンクだ。 「ここ、彼氏と来るの?」と哲が響子に話しかけた。 「そう。特別な時だけね。誕生日とか、記念日とか。」 「彼氏、よく食べるんだ?」 「それもあるけど、私も好き嫌い多いから。こういうところだとお互い好きな物だけ食べられるでしょ?」言われてみれば響子の盛り付けた皿には野菜類がない。 「野菜嫌い?」 「ややこしいの。生野菜は嫌い。でも温野菜は好きなの。茹でたブロッコリーは大好き。でも、カリフラワーは嫌い。カレーに入ってる野菜は食べられる。でもクリームシチューの野菜は嫌い。フライドポテトは好きだけどマッシュポテトは嫌い。それから、きのこ類もだめ。」 「あ、俺と同じ。」とつい涼矢も口を挟んだ。 「きのこ嫌い?」 「あと、茄子も。食べられなくはないけど積極的には食べない。」 「へえ。」響子が笑う。「意外。」 「きのこが好きそうに見える?」 「違うわよ。そういうわがままを言う感じしないってこと。哲ちゃんなら分かるけど。」 「失礼だな。」と哲が笑った。「俺は好き嫌いなく、なんでも美味しく食べるよ。」 「唐揚げばっかり山盛りにして何言ってんだ。」と涼矢が言う。 「だからぁ、ここは好きなもんを好きなだけ食っていいところだろ?」  涼矢は哲の皿から、無断で唐揚げをひとつ、箸でつまんで口に入れた。 「あ、てめっ、何すんだよ。勝手に。」 「うん、まあ、味は悪くないな。」 「おまえシェア嫌いなんだろ。」 「シェアじゃないだろ、俺が一方的に強奪しただけだ。」 「涼矢くん、シェア嫌いなの? ごめん、これシェアするつもりで持ってきちゃった。」前菜の皿とは別にカットフルーツを大盛りにしてきた響子が言った。

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