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第628話 旅立ちの日 (1)
ことの発端は、6月半ばに遡る。涼矢が千佳たちとの哲の壮行会に参加した数日後だ。もっとも涼矢は、哲の留学が正式に決まったことは和樹に伝えたものの、それにまつわる壮行会のいくつかに自分も参加したことは黙っていた。わざわざ和樹の気持ちを逆撫でする必要もないと考えたからだ。例のハグ事件以来、なんでもかんでも話すことだけが誠実さではないことは身に沁みて理解していた。
一方の和樹は、涼矢の誕生日が迫っていることや、その誕生日当日を含んでいる試験期間が終わった後、つまり「夏休み」の予定ばかりが気になって、哲の留学についてはさほどの関心を持たなかった。万一、「留学は取りやめになった」であれば気にしただろうが、予定通り日本を発ち、涼矢から離れるのであれば、もう、それは「どうでもいいこと」のくくりだった。
夏休みの計画に余念がないのは、去年は戦力外だった夏期講習のバイトがあるためだ。そのシフトが予想以上に多くて、うまく計画を立てないと涼矢と会える日数が減る。多過ぎると思うなら断ることも可能だったが、せっかく頼りにされるようになったものを断るのもおこがましい気がしたし、盲腸で迷惑をかけた汚名も返上したかったし、何より収入を増やすチャンスだ。和樹は早坂から提示されたシフトを了承した。
学校の夏休みが始まる7月21日から夏期講習もスタートする。講習は前期・中期・後期と3タームあり、和樹はその中期と後期、ふたつのタームを割り当てられていた。具体的には8月6日~9日と、21~24日だ。間のお盆時期に帰省することも検討したが、ハイシーズンの混雑と交通費の高さを考えたらもったいない。去年だって夏の帰省はしなかったのだから、今年もそうしようと思う。となると、やはり今年も涼矢のほうに東京に来てもらうことになる。
「でもさ、7月7日はまだ試験なんだよ。10日まである。おまえは?」
――俺はその日が最終日。
「そっかぁ。うーん、でもやっぱり、落ち着いた状態で会いたいから、10日以降がいいかな。」
――哲は7日に東京行くみたいだけどね。試験終わったら、その足で。
「へっ? なんで? 帰省?」
――留学。
「9月じゃないの?」
――大学が始まる前にブラッシュアップの語学スクール行くって。
「あそっか。そういやそんなこと言ってたな。ま、あいつ、東京に実家あるもんな。帰省がてら実家寄って、準備して出発ってところか。」
――いや、実家には寄らずにそのまま空港だって。羽田からだと深夜発の直行便があるからって。新幹線代プラスしても、そのほうが速くて安いんだそうだ。
「せっかく実家があるんだから前泊すればいいのに。」
――家には帰りたくないんだろ。
「……お義父さんか。」
――うん。それに下の兄弟はまだ小さいみたいだし、いろいろ気を使うのも使わせるのも、嫌なんだと思う。
「まあ、分からないでもないけど、それにしたって、少なくともお母さんにとっては実の息子だろ。普段でも離れて暮らしてて、その上で1年も海外に行くのに、実家に顔も出さないのってどうなんだろうな。それに、留学なんか家族に内緒でできるもんでもないだろ。親のほうは見送りぐらいしたいんじゃないの。」
――どうだろうね。哲、前に言ってただろ? 母親が再婚する前は菓子パン1人で食ってるような夕食だったって。わざわざ地方のうちの大学来たのだって、厄介払いみたいな感じだったし。……あんまり折り合いの良い家族ではないんじゃないの。父親のこと抜きにしてもさ。
「俺には想像しにくいけど……まあ、そういう家もあるってことか。」
――うん。きっと哲も1人でさっさと行くほうが気楽なんだと思うよ。
和樹はため息をついた。「なんかかわいそうだな。頑張って特待生やった上に、難関の留学しようっていうのに見送りする人もいないなんて。」
――しょうがない。
「世知辛いねえ。」
――おまえの心配することじゃないよ。やってやれることなんかないし。
「まぁね。あ、でも見送りぐらいはしてやれるか。」
――は、何言ってんの。
「見送り。羽田だろ。行けなくはない。」
――正気か?
「おまえの友達だからな。」
――馬鹿、和樹は試験中だろ。余計なことして単位落としたらどうするんだよ。
「馬鹿とか余計とか、ひどいな。おまえこそ友達の門出を祝ってやる気はないのかよ。」
――なんでおまえはそう、友達友達って、俺と哲をくっつけたがるんだよ。普通、逆だろ? あいつのことなんか邪魔だろ、おまえにとって。
「確かに俺は哲のことうざいと思ってるけど、おまえにとっては大事だと思うから。」
――関係ねえだろ、おまえには。
和樹はムッとする。「あ、何それ。」
――だから、俺と哲のことは和樹に関係ない……ことはないけど、でも、余計なお世話だろ、見送りとか、そんなことまでは。
「あっそう。分かった。」
――俺に友達が少ないからってさ。
「分かったってば。もういい、勝手にする。」
――勝手に何するんだよ。
「関係ないだろ、おまえには。」
――何だよ、それ。
「俺は勝手に哲の見送り行くから。んで、もう帰ってくんなって言ってやるから。」
――馬鹿か。
「はいはい、どうせ馬鹿ですよ。哲と違ってね。」
――そんなこと言ってない。
「とにかく俺が見送りに行ってやるよ。」
涼矢は少し語調を弱めて言った。
――なあそれ、本気で言ってるの?
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