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第629話 旅立ちの日 (2)

「ああ。でも、帰ってくるな、は言わないよ。」和樹もクールダウンした口調になる。「だってさ。家族も冷たくて、おまえにまでほったらかされて、なんか、そういうの俺、嫌なんだよ。あいつも俺に見送られたって嬉しくないだろうけどさ、まあ、おまえの代わりにってことで。」 ――おまえがそんな気を使う相手じゃないだろ。 「そうだけど。でも、それで哲の乗った飛行機が墜落でもしてみろ。おまえ、夢見が悪くなるぞ。」  涼矢は、同じようなセリフを哲に言われたことを思い出す。あの時の哲の、憑き物の落ちたような表情の陰には、おそらく自分の辛い過去だとか、倉田や涼矢への想いだとか、欲しい時に手に入れられなかった「温かな家庭」への執着だとか、そういったものを断ち切る覚悟や決意といったものがあっただろう。哲とは対極にいるはずの和樹が、哲と同じセリフを吐くのを聞いて、自分より哲を理解しているような気がした。 ――和樹の気の済むようにしたらいいよ。  涼矢は最後にそう言ってこの件を終わらせた。単なる売り言葉に買い言葉で、和樹は本気ではないかもしれない。もし本気ならば、具体的な便名等を哲に聞かなければならないが、さすがにその仲介を買って出る気は起きなかった。和樹が本気でそう思っているなら、自力で哲とコンタクトを取ることだろう。削除していなければ和樹は哲の連絡先を知っているはずだ。その先のことは和樹に任せようと思う。以前ならそんなことは断固として阻止していただろうが、今の哲なら悪い方向には進まないように思う。それは自分に都合の良い解釈だろうか、とも思う。 「おまえの誕生日に哲の見送りに行くのも変な話だけどな。」和樹は軽く笑いながら言った。  和樹なら、哲の変化にも気づくだろう。それが良いことか悪いことか、俺よりも正確にジャッジできるだろう。その結果を聞いてみたい気もした。次に和樹に会う時には、その話が聞けるだろうか。  そんなことを考えているうちに、ふと脳裏に浮かぶ顔があった。 ――あ、そうだ。思い出した。  涼矢は突然言った。 「なんだよ。」 ――やっぱ、会えるの8月になるかも。 「なんで。」 ――ポン太から電話かかってきてさ。東京行きたいんだって。7月の終わり頃。 「は? 何しに?」 ――なんだっけな。あんまりちゃんと聞いてやらなかったから半分忘れたけど、東京にある専門学校に興味があって、見に行きたいって。でもあいつ、高校中退して修学旅行すら行ってなくて県外に出たことないんだよ。1人で東京行くのは不安だから、ついてきて欲しいって言われてたんだけどさ。面倒だからそれは断って。 「可愛がってるんじゃないのかよ。つか、あんなナリして東京が不安って見かけ倒し過ぎるな。」 ――だよな。俺もそんなもん1人で行けとは言ったんだけど。でも、柳瀬まで出てきて、おまえが東京にいるならなんとかならないかって。 「俺、関係ねえじゃんよ。」 ――でも、ポン太、他に心当たりないから、万一の時はお前を頼りたいって。だから、おまえさえよければ面倒見てやってよ。電車の行き方教えてやるだけでもいいからさ。 「やっぱおまえ、あいつには甘いよなぁ。哲の対応と大違い。」 ――そりゃそうだ。 「で、それが7月の後半で、だから俺はその頃東京で待機してろというわけか。」 ――そう。 「泊めないよ?」 ――ああ、それは気にすんな。深夜バスで行って早朝着いて、その日のうちに帰ってこさせるから。あいつ体力だけはあるからな。 「んー。事情は分かったけど、具体的な日にちが決まらないと、何とも言えないや。」 ――だよな。もう一回ちゃんと聞いておく。 「ま、要はそれ済んでからのほうがいいって話な?」 ――うん。 「でも俺、8月は塾バイト結構詰まってて。勝手に部屋にいるのは構わないけど。」 ――8月めいっぱい? 「24、5日までかな。そこから9月の真ん中あたりまでは空いてる。」 ――じゃあ、一応、その頃に行くようにするから、予定入れておいてよ。 「分かった。」  和樹は羽田空港に向かう電車の中で、その時の涼矢との会話を反芻していた。何度思い返しても、見送りに行くと言い張ったのは自分のほうだった。引っ込みがつかないままに哲のSNSを通じて連絡を取り、少しでも遠慮する素振りを見せたら「じゃあ行かない」と言う心づもりが、至って素直に「本当? ありがとう」などと返されて出鼻をくじかれたのだった。哲は搭乗予定の便を教えてくれるのはもちろん、ご丁寧に深夜便を見送る和樹が無事に帰宅できるよう、羽田からの最終電車の時刻まで調べ上げてくれた。  そんな経緯で、気が付けば哲と相対して空港内のカフェでのんびりお茶を飲んでいる和樹だった。 「まさか本当に来てくれるとは。」哲が笑った。 「俺もそう思う。」 「優しいよね、都倉くんは。」 「俺が来ても意味ないけど。」

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