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第633話 phone call (2)

 その質問はしないつもりだった和樹だが、つい言ってしまう。「そう呼んでも嫌がらなかったって言ってたぞ。」  電話の向こうから涼矢のため息が聞こえた。 ――前に話した、割と仲良くしてる女の子たちね。彼女たちは俺のこと、涼矢くんって呼んでる。この間その子たちが哲の壮行会やるからって俺も誘われてさ。その席で、彼女たちにつられたんだと思うけど、哲に何回か涼矢って呼ばれたよ。でも、どうせすぐいなくなるんだし、いちいち言い直させるのも面倒だから放っといた。それだけ。 「ふうん。」 ――それだけでも嫌?  本音を言えば嫌だった。けれど、もう哲の話題は終わりにしたかった。 「哲のことはもういいや。それより女の子が涼矢くんって呼んでるなんて初耳。」 ――そっち? 「うん。」 ――でも1年以上それで来ちゃってるしなあ。けど、おまえが嫌なら……。 「いや、直せとまでは言わないけど。意外だっただけだから。高校ん時は、田崎くんって呼ばれてたろ。逆に、水泳の女子は呼び捨てで、涼矢くんなんて呼ぶ人、いなかったろ。」 ――和樹はたまに言うよな? 俺のこと、ちょっと小ばかにする時。  和樹は押し黙った。確かに「涼矢くん」と呼ぶことはある。でも、それは小ばかにしてるわけではない。 ――俺は和樹くんなんて呼んだことないけど。  涼矢が付け加えた。 「呼びたいならいいぞ。和樹くんって。」 ――やだよ。 「嫌なのかよ。」 ――川島さんと被る。 「綾乃、和樹くんなんて呼び方してたっけ。」  涼矢はぶっきらぼうに答えた ――カズくん。 「ああ、そうだった。……なあ、そんなもんだよ。今言われるまで忘れてた。だから、そんなの気にしないでさ、好きなように呼んでいいよ。」 ――おまえは俺を涼矢くんって呼びたいのか? 「いや……ええと、それは。」和樹は口籠もった。「そう呼びたい時っていうのは、その、小ばかにしてるんじゃなくてさ。」 ――じゃあ、何。 「可愛い時。」 ――は? なんつった? 「以上。もう言わない。」 ――可愛いって、俺がか? 「聞こえてるじゃんか。おまえだよ。おまえが……そう見えた時は、そう呼びたくなるの。以上!」 ――和樹のほうが可愛いけどね。 「るせえよ、馬鹿。」 ――誕生日なのに、ひどいな。  笑いながら涼矢が言った。 「俺だって、今日ぐらいは、もうちょっとちゃんとしたこと言うつもりだったよ。」 ――20歳の抱負を聞くとか? 「そう、そういうの。」 ――愛してるよ、とか? 「はいはい、言うよ、言う言う。」 ――抱負は特にないけど、和樹のことは愛してるよ。 「なんで先に言っちゃうんだよ。んで、抱負、ねえのかよ。ハタチだぞ?」 ――20歳になったからって、そんなに劇的に変わらないよ。今までと同じように、これからも和樹を好きでいる。 「……おまえ、よくそういうこと、さらーっと言えるな?」 ――だって和樹が。 「俺が?」 ――和樹のほうが先に、その、結婚のこととか。入院の時、言ってくれたし、ああいうの嬉しかったから、俺もちゃんと言わなきゃって。  今思えば、やはり体の不調から心細くはなっていたと思う。だからあんなタイミングでプロポーズめいたことをしてしまった。けれど、決して勢いや出まかせで言った言葉ではない。和樹はすうっと息を吸った。気持ちを落ち着かせたところで、その言葉を言う。 「愛してるよ。」 ――うん。 「すっごく。」 ――ありがと。俺も。 「あーあ。なんでおまえ、今ここにいないんだよ。おまえこそ、哲の見送りがてら東京来ちゃえば良かったのに。」 ――哲と一緒に新幹線乗って? 「あっ、それはダメだ。やっぱダメだ。」 ――そう、それじゃダメ。だから行かなかった。もういいんだ、あいつのことは。 「ほら、またそんなこと言う。あのな、俺はあいつどうなってもいいけど、おまえは友達なんだからさ。」 ――友達だと思ってるからだよ。和樹のおかげでね。おまえがそうやっていつも言ってくれたから、やれるだけのことはしてやれた。見送りには行かなかったけど、さっき言った通り壮行会だってしてやったし、ちゃんと頑張れって言って送り出せたから。だから、もういい。 「そっか。」和樹はホッとした。あんな奴、友達でもなんでもない。そんなことを言う涼矢でなくて良かった。勝手なお節介を「和樹のおかげ」と言ってくれる涼矢で良かった。そんな涼矢が、やっぱり好きだと思う。 ――あいつは今日、空飛んで、先に進んだんだ。俺だって先のこと考えたい。司法試験のことも、その先の仕事のことも、それから和樹と一緒にいるにはどうするのが一番いいのか。 「最後のは、俺が頑張んなきゃだな。就職とか。」 ――俺もおまえも、だ。2人のことだろ。 「うん。……それがおまえのハタチの抱負だな?」 ――今日思いついたわけじゃないけど、まあ、そうかな。 「俺も頑張るよ。」そこで和樹はまた息を深く言う。照れくさい言葉を言うための助走としての深呼吸だ。「涼矢とは、ずっと一緒にいたいから。」 ――うん。  涼矢は少し間を置いてから、静かに言った。 ――今の言葉で、最高の誕生日になった。サンキュ。  和樹はまだ照れくささが抜けずに、小さく笑った。

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