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第635話 phone call (4)

「そっか。俺なんか、ペンだったら書けりゃいいって思うけど、女の子は大変だね。」 「でもさ、涼矢はこだわりそう、そういうの。」 「ああ、こだわりそう。」  2人で顔を見合わせて笑った。 「それで、和樹はそういうこだわり、平気で無視してそう。」 「無視はしないよ、気が付かないだけだよ。」 「あっ、そうか。……って、もっとひどくない?」  もう一度2人で笑う。 「でもねえ、あいつは、俺がもしそういう無神経なことをしても、きっと許しちゃうんだろうな。」 「だろうね。自分が我慢すればいいやって。」 「言ってくれたらなんでもないことでも、勝手に我慢するから。」 「そういうとこあるよね。」エミリは青い色をしたハーブティーを一口飲んだ。「味はあんまりしない。」と呟いてから、添えられたレモン汁を入れた。青から紫へと色が変わる。「あ、本当に色が変わった。」  メニューにあったそれは、バタフライピーという、青い花から作られたハーブティーだった。青色はアントシアニンの色でアルカリ性だ。そこに酸を加えると赤く変化する。だからレモン果汁で紫へと変わった。エミリは面白がって更にレモン汁を入れ、ますます赤くした。それを口に含むと「あ、酸っぱい。」と顔をしかめた。 「そりゃそうだろ。」と和樹は笑った。 「なんか、不思議。きれいね。」とエミリは言った。和樹は、涼矢がこの場にいたら淡々と「料理は科学だから」などと言いそうだと思った。  そんな風にエミリが選んだペンは、店員によって可愛らしくラッピングされ、菜月の誕生日の今日、和樹のバッグにスタンバイしていた。今日の実力テストは中学生のみ、しかも3年生以外は希望者だけが受けるテストだから、いつもより生徒も講師もだいぶ少ない。その点では、プレゼントを目立たずに渡すにはもってこいの日だった。  菜月は果たしてこれを喜んでくれるだろうか。エミリの「人それぞれ」に緊張した。手作りチョコを渡してきた時のはしゃぎっぷりを思い出すが、最近の菜月は、あの頃からうんと大人びたように見える。休み時間に「ねえねえ、カズキっち」などと馴れ馴れしく話しかけてくることもない。ペンを選ぶ時にもエミリに「どんな子?」と聞かれてひどく困った。明るくて活発。よくしゃべる。図々しいほどに積極的。そんな印象だったが、今はそのどれも当てはまらない気がする。  生徒一人一人をよく見て。そんなことを早坂や久家から言われるが、見るたびに変わってしまうものをどうとらえればいいのか、と思う。  和樹が試験監督をしたのは菜月たちの学年ではなく、1年生だった。希望者は少なく数人しかいなかったから、監督するにも、終わったテストを回収するのも楽なものだった。講師のデスクに戻ると、テストを終えた中2の子たちがわらわらと出てきたところだった。その中に菜月を探す。やがて出てきた菜月に、和樹は声を掛けた。 「菜月、ちょっと。」  いぶかしげな表情を浮かべ、菜月が近づいてきた。他の生徒達がその場にいなくなるのを待ちながら、「テスト、どうだった?」と当たり障りのないことを話しかけた。そこへ明生がやってきた。チラリと和樹と菜月に目をやりつつ、2人の脇を通り過ぎていく。どうやらその先にある冷水器で水を飲みたかったらしい。 ――明生なら、まあ、いいか。  明生だったら、菜月が和樹にご執心だったのも、バレンタインのやりとりも知っている。ここで和樹が菜月にプレゼントを渡したと知っても、それを吹聴することもあるまいと思う。頭の片隅で「だって明生は俺のこと好きらしいし。俺が困るようなことはしないだろう」などと思い、そして、それをすぐに打ち消した。――明生が俺を好きでも――そういう意味で好きでも、その好意を利用するような真似は、しちゃだめだ。  和樹は自分のデスクに座り、バッグから例のプレゼントを取り出した。それから、できるだけ堂々と「今日、誕生日だよね。おめでとう。」と言った。それは菜月に対してではなく、明生に聞かせるような気持ちだった。 「えっ、うそ、まじで。」菜月はリボンのついた紙袋を嬉しそうに受け取った。「開けていい?」と言いたげに和樹を見たので、和樹は頷いた。菜月は中身のカラーペンを手にすると、目をキラキラと輝せた。「あ、可愛い。カズキっち、ありがとう。」  菜月の「カズキっち」を久しぶりに聞いた気がした。すると、冷水器のほうから明生が近づいてきた。普段は他の生徒、特に女子生徒が和樹の周りにいる時にはなかなか寄ってこない明生だが、さすがに好奇心には勝てなかったようだ。  菜月もそれに気付いて、くるりと振り向くと「塩谷、見て、もらっちゃった。」とペンを見せびらかした。  明生は「それ知ってる。最近流行ってるやつ。」と呟いた。菜月はそれが不満だったようで、すぐにペンを自分のバッグにしまいこんだ。 「ありがとう。」菜月は和樹にもう一度礼を言い、「じゃあ、帰ります。さようなら。」と言って、出て行った。こんなところも以前とは違う。和樹を独占したいなら絶好の機会なのにあっさりとしたもので、期待していたわけではないものの、少々拍子抜けの気持ちになる和樹だった。

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