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第636話 phone call (5)
取り残された形になった明生を見た。明生もあっけにとられた表情を浮かべている。やはり菜月の態度に違和感を覚えたのだろうか。
明生の年には分からなかったが、今の和樹には分かる。菜月は、少女から女性に変わろうとしているのだ。大抵の女の子は男の子よりも早く大人びていく。頭の回転が速い菜月なら尚更、一足とびに成長を遂げても不思議ではない。和樹も一応は「年上の異性」であり、そういう相手に無邪気に絡んでいくことに抵抗が出てきたのだろう。かと思えば流行のキャラのペンに目をキラキラさせていたのも事実だ。それでいて、明生に「流行のものだ」と言われれば気にくわない。流行に乗っかるミーハーとは思われたくなかったのだろうか。
そんな風にこどもと大人を行ったり来たりして、目まぐるしい年頃。
「女子は、難しいなあ。」と、つい口をついた。「あのペンも、中学生の女の子が何がいいかなんて全然わかんないしさ、女友達に選んでもらって、結構苦労したんだけどな。」
「喜んでたじゃないですか。」と明生が言う。あまりに淡々と言うので、本当にそう思っているのか、和樹へのフォローのつもりなのか分かりにくい。つきあう前の涼矢みたいだ、と思う。
「そうかなあ。」確かにもらった瞬間は喜んでいたのだけれど。でも、今思うとあれだって演技かもしれない。綾乃だって、別れを切り出してくる直前まで、和樹の前では常に楽しそうに振る舞っていた。和樹は改めて「女子は難しい」と思う。が、目の前の明生のことを思うと、「難しい」のは必ずしも女の子だけではない、とも思う。裏表を使い分ける菜月も難しければ、何を考えているのか読めない明生も難しい。
「ていうか、女友達、いるんですね。」
椅子に座っている和樹の頭上から、明生の声が聞こえてきた。
彼女がいて当然。友達も多そう。そう言われることのほうが圧倒的に多い和樹としては、意外な言葉だった。
「女友達なんて、いなさそうに見える?」
明生は和樹の顔を覗き込んだ。こんな風に真正面から見つめられることは滅多にない。涼矢と愛を交わす時ぐらいのものだ。しかも、座っている和樹を、立っている明生が見下ろす形なものだから、余計に、いつもの「先生と生徒」の立場が逆転してしまったかのような錯覚も覚える。
「そんなことないですけど。」一瞬、何のことかと思った。すぐに、ついさっきの「女友達の有無」についての質問への律義な答えなのだと分かった。女友達ぐらいいないわけがない。そういうつもりで言った疑問形の言葉を、明生は文字通りの質問と受けとめたようだ。こんなところは、こどもならではの単純さでもある、と思う。結局この年頃の子は、男女問わずそんなものなのだ。心と体がアンバランスだったり、言動がちぐはぐだったり。
きっと涼矢も。あの、一番苦しかったであろう時期に、今の明生ほどの年齢だったはずの涼矢。ただでさえアンバランスな年頃だったのに、その上、あんな、辛いこと……。
少しでも間があると、ついつい涼矢のことへと思考が流れてしまう。
――いや、しかし、それではいけない。目の前にいるのは明生だ。明生のこと、考えてやらなくちゃ。
その時だった。
「……あ。」淡々としていた明生の目が大きくなる。何かを見つけたような目だ。
「うん? 何か?」
「ピアス、前のと違う。」
普段より人数は少ないながらも、講師を含め数十人と顔を合わせているはずの今日、それを指摘したのは明生ただ一人だった。ただし、早坂には自分から申し出て、以前よりも目立つピアスの使用に問題はないかと尋ねた。早坂は一言「問題ありません。」と言った。
「おまえ、ホント、俺のこと、よく見てんのな。」つい笑ってしまう。面白がっているのではない。――そんな風に俺の一挙一動を見ていた奴が以前もいた。……涼矢だ。
――そうか。そんなに好きか、俺のこと。
でも、それなら、だからこそ、今のうちに諦めさせてやるべきだと思う。
和樹は耳たぶに触れる。「これさ、涼矢とお揃い、パート2なんだ。明生も知ってると思うけど、昨日、あいつの誕生日だっただろ。同じのを涼矢にも贈ってある。」
明生は急にモジモジして、さかんに髪の毛をいじりだした。「すごく、似合ってます。涼矢さんにも、きっと。」
恋人の話題を出しただけで照れる明生は、年相応のこどもだ。そして、そこには嫉妬の欠片もない。ひたすらまっすぐな憧れと好意。その純粋さもこどもならではのものだ。でも、涼矢はかつて綾乃に、あるいはそれ以前につきあってきた子、更には和樹を慕っていた後輩にすら嫉妬していたと言っていた。"女"というだけで和樹への好意を露わにできる彼女たちが、羨ましく妬ましかったのだと。
それを押し隠して「友人」としての距離を保っていた涼矢。
明生もまた「生徒」としての距離を懸命に保とうとしてくれているのだろうか。
「ありがとう。」と和樹は言った。「明生は偉いな。俺よりよっぽど大人だ。」
明生はキョトンとしている。
涼矢に度々重なる明生の好意は、ただの憧れではない、と和樹は確信する。それを本人が自覚しているかどうかは別にして。
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