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第638話 phone call (7)
そこで初めて発信元の名前を見た。塩谷明生。5月に東京で会った、和樹の教え子。涼矢の目には明らかに和樹への恋情が見えていて、たまらず連絡先を教えた。でも、それから2ヶ月、何の音沙汰もなかった。そこにきて、この内容だ。どう考えても「何かあった」としか思えない。
涼矢はすぐに返信した。
[別に、いつも通りだよ。何かあったの?]
[それならいいです]
いや、よくはないだろう。涼矢は重ねて尋ねた。
[都倉に何か言われたの?]
[大丈夫です]
素っ気ない一方的なメッセージが来て途絶えた。涼矢から[どうしたの][話は聞くよ]等と立て続けに数通のメッセージを送ったが、既読マークすらつかない。「放っておいてくれ」ということなのだろうが、そのままにはできない。
迷いはしたが、ついに涼矢は明生に電話を掛けた。
――もしもし!
名乗る前に明生の声がした。
「明生くん?」
――はい、そうです。すみません、ごめんなさい。変なこと言ってごめんなさい。
切羽詰まった声で謝罪を繰り返す明生に、涼矢は「大丈夫、落ち着いて。」と努めて優しく言った。正直、こどもの相手は得意ではない。自分は大人になつくこどもではなかったし、距離の取り方が分からない。話しかけるきっかけの話題を探す。天気の話をするわけにもいかない。
「ごはんはもう食べた?」こんなことしか思い浮かばず言ってはみたが、すぐに後悔した。「もう10時だもんね、食べてるよね。」
――はい。すみません、こんな時間に。
「全然大丈夫。」それは本心だ。夜10時の電話は自分にとって特段早くはない。そこからどう話を展開させればいいのか考えあぐねているうちに、明生のほうから切り出した。
――自分でも何が言いたいのか、ぐちゃぐちゃで。
そんな言葉だったが、ホッとする。ぐちゃぐちゃでもなんでも、明生のほうから話してくれるならそのほうがいい。
「そういう時もあるよね。いいよ、ゆっくりで。待つし。」
待つと言ったばかりなのに、明生は急かすように話しだした。
――なんでですか。なんで、僕と連絡先交換とか。今も、待ってくれるとか。僕、別に涼矢さんとは、その、友達とか、先生と生徒とか、そういうのじゃないし。関係ないって言うか。
関係ない、という言葉は少し刺さった。和樹と、和樹の教え子。そう、自分は明生とは「関係がない」のだ。ただでさえ、こどもも、人間関係を密にすることも得意じゃないのに、何故そんな間柄の少年に「何かあったら連絡くれ」などと言ったのか。
それはもちろん、過去の自分に明生を重ねたからだ。かつて自分が、同性の家庭教師に恋したことを誰にも言えずに苦しかったからだ。明生に同じ思いを味わわせたくなかったからだ。彼が同じように苦しんでいるなら、その思いを吐き出させてやりたかったからだ。
「でも、だから言えるってこともあるじゃない? 知り合いには言えなくても、赤の他人なら話せるようなこと。頼れる家族も友達もいるのに、わざわざネットとかで顔も知らない人に相談するのは、相手が関係ない人だから、でしょ?」
関係ない自分だからこそ、心置きなく王様の耳はロバの耳、と叫ぶ相手になれる気がしたからだ。
涼矢の言葉に、明生は黙りこくった。だが、その沈黙に「なにか返さねば」という焦りが滲んでいるように思える。涼矢は、そんなに焦らなくても良いんだという気持ちを込めて、「だから、待つよ。」と重ねて言った。
――かけ直します。5分やそこらじゃまとまらないと思うし……。
ようやく紡いだ明生の言葉を、涼矢は優しく受け止める。「うん。分かった。夜中になってもいいから。」
再び「すいません。」と謝る明生に、謝らなくていいと言って聞かせたが、結局最後に明生はもう一度「すいません。」と言って、電話を切った。
涼矢は和樹への連絡はひとまず後回しにして、明生からの連絡を待とうと決めたが、ただまんじりともせずこうしていても仕方がない。結局スマホを持ったまま階下の浴室に向かった。完全防水ではないから、音量だけを上げて、ドアのすぐ外に置いた。
いつ掛かってくるかと落ち着かないものだから、いつもより早く風呂から上がる。だが、ドライヤーで髪を乾かし、自室に戻ってもまだ、明生からの電話はない。
この状態では勉強に集中も出来ない。涼矢はとりあえず0時まで待つことにして、買ったまま読んでいなかった例のバスケ漫画をパラパラとめくってみた。とある高校の、一癖ある生徒ばかりの弱小バスケ部。かつては強豪校だったが、それも過去の栄光となった。そこに伝説の監督が赴任してきたり、技術は天才的だが全く協調性のない生徒が転入してきたり、真面目さだけが取り柄の万年補欠がキャプテンに任命されたりする。当然部員同士は衝突し、足を引っ張り合い、監督は総スカン。だが、そんなトラブルの度に彼らは強くなっていき、友情と信頼関係を深めていく……。そんなよくあるタイプの青春物語だった。
――これのどこが面白いのかな。そのうち面白くなるのかな。
読み飛ばしても大体の筋が分かるのをいいことに、涼矢は1巻の次は3巻、その次は5巻と1つ飛ばしに読んだ。それでも和樹が熱心に読むほどの価値は見出せない。
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