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第640話 phone call (9)

 涼矢はため息をついた。「ホントあいつ、馬鹿だな。」と小声で言った。 ――これって、どういう意味ですか。  明生の問いかけに涼矢はすぐに返事できなかった。どういう意味も何も、言葉のままのはずだ。和樹は、明生が「想い」をこじらせてしまわないうちに諦めさせたほうが失恋の傷も浅く済むと思い、明生からの好意には報いてやれないのだと、先手を打ったつもりなのだろう。  そして、そう思わせたのは俺だ、と涼矢は思う。相手の死で断ち切られ、同性への恋情など死に値する罪悪だとつきつけられた初恋。自分はその罪深き同性愛者だと確信して絶望した二つ目の恋。そんな話をしてしまったから。俺は和樹に救ってもらえたけれど、その俺があんまり重すぎるから、和樹は俺の世話をするだけで精一杯で。そのしわ寄せがこの子に……。  ならば、明生にも話すしかない、と涼矢は思った。俺が俺のことをきちんと話さないことには、和樹の誠意が伝わらない。 「まず、俺のことを話してもいいかな?」 ――えっ? あ、はい。 「俺ね、もともと男の人が好きなんだよ。恋愛対象が、男性ってことね。」 ――……はい。 「そのことに、こどもの頃からずっと悩んできた。すごく悲しいことや傷つくこともあって、人を好きになるのが怖かったし、自分のことなんか誰も好きになってくれないと思ってた。……ごめんね、こんな話で。」 ――いえ。 「でも、和樹は、男同士だろうがなんだろうが、人を好きになることは悪いことじゃないって言ってくれた。俺はそれにすごく救われた。」  明生は黙り込んだ。その沈黙が何を意味するのかは分からない。戸惑っているだろうか。 「俺、明生くん見てたら、昔の自分を見てる気がした。きみは全然違うって言いたいだろうけど、勝手にね、そんな風に思ってしまった。」  口に出して初めて、自分がそう考えていたことを明確に自覚した涼矢だった。何も答えない明生に、涼矢は語り続けた。 「俺が初めて好きになった人は家庭教師で、憧れて、尊敬していた。その人とどうなりたいとかなくて、ただ、見ているだけで幸せで、そういう風に好きだった。」  ああ、そうだ。確かに俺は、あの人をそんな風に好きだった。ただひたすらに優しいあの人の眼差しが好きだった。あの人の温かな声が好きだった。俺に何ひとつ強制しないあの人が好きだった。俺をこどものくせにとか、男なのにとか、そういう枠にはめることなく、ただ俺個人を見てくれたあの人が好きだった。  あの人のことを思い出すのが怖かった。最期が、あまりにも悲しかったから。でも、忘れなくて良かった。忘れなくていいと言ってくれたのは和樹だった。和樹もまた、俺を許してくれる。俺は俺でいていいのだと、繰り返し教えてくれる。そんな人がそばにいたら、誰だって好きになる。 「明生くんも、和樹のこと、そういう風に好きなのかなって思ったんだけど、違うかな?」  少しの間を置いて、明生は答えた。 ――なんでそう思うんですか。 「勘、としか言いようがないんだけどさ。自分がそうだったから、そうなのかなって。和樹を見ている時の、きみの表情とか見てて。」 ――そのこと、先生に言ったんですか。 「言わないよ。でも、和樹も、そう思ったんじゃないかな。まあ、彼はあまりそういうことに気が付くほうではないんだけど、なんせ俺の昔の話を聞いているからね。俺が1時間ぐらい一緒にいただけでそう思ったんだから、もっと長く近くにいる和樹だって、さすがに気がついてもおかしくはないと思う。」  電話の向こうの明生の緊張が伝わってくる。それはつまり、図星ということなのだろう。  そして、これから少し辛いことも話さないといけない。和樹がそんなことを言った理由も、俺がこの子に連絡先を教えた理由も、そこにこそあるのだから。 「尊敬や憧れや…そういう風に好きなうちは良かったんだけど、俺の場合、その後にいろいろあってさ。俺は和樹に出会うまで、本当の自分が出せなくて、すごく苦しかった。明生くんにはそういう思いをしてもらいたくなかったんだ。でね、和樹も同じなんだと思う。彼も、きみに、昔の俺みたいになってほしくなかったんだと思う。」  勝手に先回りしたことを詫びつつも、涼矢はそう話した。 ――ごめんなさい、そんなことまで気にかけてくれてたって、全然思ってなかったです。 「選んだ言葉はどうかと思うけど、彼なりに大事に思ってのことだから、きっと。そこは信じてあげてくれると、俺としても嬉しい、かな。」  すう、と大きく息を吸うような音が聞こえた。意を決したように明生が言う。 ――明日も塾あるんです。僕、どんな顔したらいいか。今日すごく態度悪く帰ってきちゃって。 「いいよ、いつも通りで。そしたら和樹も安心するから。それ以上のことは和樹が解決することで、きみが心配することじゃない。だいたい、あいつが悪いんだ。」  明生を安心させたくて、涼矢は努めて明るい口調で言った。

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