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第641話 phone call (10)
笑い声、というほどのものではないが、明生からもホッと安堵するような息が伝わってきた。
明生に自分を重ねたけれど、こんなところは違う、と思う。明生は明生の年の頃の俺よりずっと強い。俺は好きな人を前にして「すごく態度悪く」なんてできなかったし、同じ人を好きになった、いわば恋敵にこんなことを言われて笑う余裕などなかった。この子なら、きっと大丈夫だ、と思う。
そう思っていたところに、急に明生が言い出した。
――涼矢さんも、先生のこと、好きなんですよね?
「な、何、突然。」
――すいません。ちゃんと聞いたことなかったと思って。
「好き、ですよ。」やんわりとした答え方などとっさに浮かばず、ただそう言った。
明生のほうが落ち着いた声で言う。
――僕もちゃんと言ってなかったけど、僕も都倉先生のこと、好きです。でも、涼矢さんのことが好きな、先生が好きなのかもしれない。今、そう思いました。
「明生くんは、すごいね。なんか、すごく大人。」正直な感想だ。不器用な片想いをしていた頃の自分を思うと雲泥の差だ。「俺はそんな風に考えられなかった。」
――先生にも、僕は大人だって言われました。でも先生は大人じゃないんだって。だから、ごめんなって。そう言われてムカついたけど、今の話、聞いたから、許します。
後半はこどもらしい軽やかさで言ってのける明生に、涼矢は益々感心した。やっぱり、この子なら大丈夫だ。そう思うと自然に笑いがこみあげて、つい「ははっ。」と声に出して笑った。
――いろいろありがとうございました。こんなことで電話して、ごめんなさい。
「ううん。電話してくれて、俺も嬉しかったよ。ちょっとは役に立てたのかな。」
――はい。いえ、ちょっとじゃないです、もう、すっごく、本当に。……あ、最後に、ひとつだけ。
「ん? 何?」涼矢はいつになく寛大な気持ちで、明生の言葉を待った。が、発せられた言葉は意外なものだった。
――先生とチューとかするんですか?
「はあっ?」思わず素で大声が出た。切ない片想い、そんなナイーブな話題をしていると思うからこそ、こっちだって言葉を選んで慎重に対応してきたつもりだ。それが最後になってこんな質問か、と思うと腹が立つ。――いいや、呆れてしまう。俺は渉先生相手にそんなこと、考えもしなかった。
だが、涼矢は思い出す。――二度目の恋の時には、そんな想像もしないわけじゃ、なかった。
渉先生の時は小学生だった。美術部の先輩は中学生になってから出会った。今の明生は中学生で、そう思えば自分と同じような成長過程を踏んでいるのだ。個人差はあろうが、つまりそのあたりの1、2年の差は、それだけ大きいということだろう。
「ああ、そういうの、気になるお年頃だよね。」自分だってそうだった、と気づいてしまったからには、取り繕うのもバカバカしくなって、それまでの丁寧な口調をやめた。
「大丈夫です、僕は別に、先生とそういうことしたいなんて思ってません。」
そう言われて、反射的に「させねえよ。」と被せ気味に言ってしまった。数秒して、言い訳のように「ていうか、そんなことしたら和樹がつかまるから、ホントやめてね。」と付け加えた。
そんな涼矢の変わりぶりが余程おかしいのか、明生は笑った。
――しませんて。で、どうなんですか。
重ねて聞いてくるのをかわすのも面倒で「しますよ、そりゃあ。」とぶっきらぼうに答えた。
――うっわぁ……。
「自分から聞いておいて何それ。あのさ、そんなこと絶対、和樹に聞くなよ。」
――それは、聞くなよ聞くなよって言いながら、本当は絶対聞けっていう前振りですか。
そんなどこかのお笑い芸人みたいなことをするわけがない。「違うよ、馬鹿。」と言い放った。
――涼矢さん、意外と口、悪いですね。
明生が愉快そうに言う。そんな明生の態度に、心配して損した、そんな気にさえなってくる。
「こっちが本物だよ。用事済んだだろ、切るぞ。」
しまいにはそんな風に言い捨てて、さすがにこども相手に態度が厳しすぎたかと思っていたら、明生が「はい。」としおらしく引っ込んだりするものだから、余計に罪悪感にさいなまれる。
「……また、気が向いたら、連絡しろよ。今日の給食うまかった、とかでもいいから。」
そうだ。そんな程度に、ただ、「何かあったら言える相手の存在」を頭の片隅に置いておいてくれさえすればいい。最初から、そう思っていたはずだ。そんな初心を思い出して、涼矢は最後に「おやすみ。」を言った。明生からも「おやすみなさい。」という、明るい声が返ってきた。
その晩は、涼矢からなかなか連絡が来なかった。ようやくメッセージが来たと思ったら、「英語のレッスンが長引いて遅くなった。明日も早いから、今日はもう寝る。おやすみ。」、そんな一方通行の内容だった。それでも和樹は「おつかれ、おやすみ」とだけは返した。
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