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第645話 phone call (14)

「彼、人の懐に入るのは上手だけど、人の上に立つタイプじゃないんだよ。それがよく塾講なんかやる気になったものだと……ああ、ごめん、明生くんにとってはあれでも先生なのに。」 ――あれでも、って。  明生の笑い声を聞いて、涼矢はホッとした。 ――でも、本当に、先生としてもすごいんですよ。授業、わかりやすいし。確か、お兄さんが高校の先生って言ってましたよね? 「そうそう。お兄さんは、本当にしっかりした、尊敬できる人。あの性格は、あのお兄さんの弟だからかもね。しっかり者の兄と、甘え上手で要領の良い弟。」安堵したついでに口も軽くなる。   ――涼矢さん、先生のお兄さんも知ってるんだ? 「うん、まあ。たまにごはん食べに連れてってもらったりしてる。」 ――いいなあ。 「俺、一人っ子だからね、ちょっと嬉しい。」そう意識したことはなく、明生へのリップサービスのつもりで言ったつもりの言葉だったけれど、口にしてみると本当にそんな気分になってくる。 ――僕も一人っ子。でも、お兄ちゃんがいるんです。  辻褄の合わない話に、涼矢は「え?」と聞き返す。 ――えーと、赤ちゃんの時に死んじゃった、双子のお兄ちゃんがいるんです。そんなわけで、今は一人っ子ってことになってるけど、本当はお兄ちゃんがいて、写真をいつも机に置いていて、だから、一緒にいるみたいなもんなんです。  他人に触れ回りたい内容でもあるまいに、明生はすらすらと答えた。何度もこんなやりとりを経験しているのだろう。でも、無理して明るい口調で語っているようにも思えず、明生が本当にその"お兄ちゃん"を大事に思っていることがうかがえた。 「ああ、そうか。それはいいね。」だから、涼矢のこんな反応も自然と出たものだった。生きていても、そうでなくても、大切な人であることには変わらない。いなくなった人を無理して忘れなくていい。無理して思い出す必要もない。ただ、そういった人がいて、今の自分がいる。それも和樹に教えてもらった。  そんな涼矢の気持ちを知ってか知らずか、明生は続けた。 ――僕はお兄ちゃんが好きなんです。記憶もないし、話すこともできないけど。  そうか、と涼矢は思う。  明生の"お兄ちゃん"は、"いなくなった人"ですらないのだ。見えないだけで、触れることができないだけで、そこにいる。明生のそばに。「絶対にいなくならないお兄ちゃんでしょ。いいよね。」 ――うん。いいでしょ。  得意気に言う明生の声が、少し震えていた。涼矢は努めて明るく話した。 「俺にも弟分がいるよ。すっげえ馬鹿なんだけど、可愛いの。幼馴染の弟で、俺になついてる。」  涼矢の気遣いが功を奏して、明生の声がまた明るく戻った。 ――すっげえ馬鹿って、ひどい言い方。 「だって馬鹿なんだもん。そいつ、性格はホント良い子なんだけど、馬鹿だからいろいろだまされるしさ。そういうの見てると、つくづく勉強はしていおいたほうがいいと思うよ。明生くんもがんばってよ。」 ――はい。  最後の返事も少し震えていたようだけど、これは笑いを押し殺しているせいのようだった。  電話を切って、涼矢はポン太の顔を思い浮かべていた。明生に話した「馬鹿な弟分」とは、もちろんポン太のことだ。そういえば、と涼矢はカレンダーに目をやる。――ああ、やっぱり今日か。  今日の夜遅くに出発する高速バスで、ポン太は東京へ行く。到着は明日の早朝の予定だが、和樹が到着する新宿の停車場まで迎えに行ってくれるそうだ。そこまでしなくていいと一応は言ったけれど、迷子になるよりマシだと和樹が言い、涼矢もその意見に納得した。  まさか自分が、こんな田舎のヤンキー丸出しの男を連れて、早朝の新宿を歩き回る羽目になるとは。和樹はそう思いながら、ポン太と一緒にファストフードの店に入った。停車場からそう離れていないのだが、ここに来るまでに既に30分以上が経過していた。ポン太がいちいち、建物や看板などを写真に撮りたがるからだ。 「なあ、そんなビルとか撮ってどうすんの。」 「東京に来た記念っす。」 「いや、それは分かるけど、そんなに何枚も要らないだろって。」 「でも、記念なんで。」  噛みあわない会話をして、ようやく店内に入る。出勤前の腹ごしらえか、逆に夜勤を終えて帰宅するところなのか。たくさんの客で案外と混雑していた。  ちょうど出ていく客がいて、目の前の2人用のテーブル席が空いたから座った。 「で、どこって言ってたっけ、学校。」あらかた食べ終えたところで、和樹が聞いた。 「えっと、御茶ノ水。」ポン太はスマホを見ながら言う。 「時間とか決まってるの。」 「えっと、見学自由って書いてあるから、いつでもいいんじゃないすか。」 「でも、それじゃ学校があいてる時間も分かんないし。学校説明会みたいなのはなかった?」 「や、そういうの、よくわかんねっす。」 「分かんないのかよ。」和樹は苦笑せざるを得ない。「資料、ないの。学校のパンフレット。」

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