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第648話 ベリーミックスパンケーキ (3)
「涼矢さん、うち来ると……最近は来ないけど、俺に勉強教えてくれてた頃は、来ると、俺の部屋の掃除してくれたっす。ババアいない時はメシ作ってくれたし。」
「マジで?」和樹の知っている涼矢はポン太を顎で使うイメージで、それを覆すポン太の言葉に、和樹は狼狽えた。それ以上に、そんな風に身の回りの世話を焼いてもらえるのは自分の特権だと信じて疑っていなかったから、予想外に精神的ダメージを受けた。
「涼矢さんは、ほんとに、なんでもできて、すげっす。」ポン太は自分の言葉に自分で頷き、少し遠い目をした。その先には昔の涼矢――和樹と出会う前の頃の――が見えているのかと思うと、和樹は何とも言えずに腹立たしかった。
「少しは自分でやれって怒られたんじゃないの。」せめてそうであってほしいと願いながら、和樹は言う。
「全然。俺んち来た時は、俺はただ座ってるだけで、涼矢さんがあれこれ全部やってくれて。兄貴がいると兄貴には指図してたけど、俺が何か手伝おうとすると、いいから座ってろって。」
「ふうん。」本当にポン太には甘いんだ。和樹はポン太のルーズリーフのような耳を見つめながら、涼矢にどうやって問いただしてやろうかと思った。
和樹はポン太を連れて目的の学校に行き、一通りの説明を受けた。高田馬場校舎も見たいと言うと、担当者はその場で先方に連絡を取ってくれた。そのおかげで高田馬場校舎では入口で進学相談の担当者が待ち構えていて、丁寧に校内を案内してくれた。
ポン太はいちいち大袈裟にすげえすげえと言いながら校内を歩く。和樹には何がどう「すげえ」のか分からないが、未知のものがたくさんあって、それなりに楽しんだ。
校内を一巡すると、担当者は「何か質問はありますか?」と聞いてきた。ポン太は特にないと言い、和樹のほうが質問をした。
「ここの講師の方が、あるギタリストのギターを作っているって雑誌で拝見したんですが、ギター職人の就職ってどんな感じなんですか?」
世界に1つしかない楽器を作る。それはすごいことだと和樹は思った。それができる人は、職人と言うより芸術家のようにも感じた。けれど、著名なギタリストからひっぱりだこだというその人は、専門学校の講師という肩書もあるわけで、つまり、そんなすごい技術を持った人でも、「職人」というだけでは食べていけないんじゃないか、と思ったのだ。ましてやポン太が、そういう世界で食っていけるのかと心配になった。
「そうですね、実際のところ、ギタークラフトマンの仕事一本で生計を立てるのは相当に難しいです。」担当者はあっさりと実情を教えてくれた。「学んだことが活かせるという意味では、楽器店に勤務してセットアップやリペアを担当するのが一番近いでしょう。それにしても狭き門ですが。それから、おっしゃるように、こういった学校の講師だとか、音楽教室に所属する者もおります。ですが、ほとんどは無関係の仕事に就きます。」
和樹は「それでもいいのか?」とポン太に目で訴えた。
「俺は、ギターが作りたいっす。」とポン太は言った。
担当者はそれを聞いてにっこりと微笑んだ。「まだ時間はありますから、考えてみてください。」
学校を後にして、2人は昼食を摂ることにした。朝食のハンバーガーにしても、ポン太は財布を取り出す素振りすら見せずに平然と和樹に奢られていたから、昼食もそのつもりなのだろうと思い、目につく範囲で一番安上がりに済みそうな牛丼屋に入った。
案の定、食券の販売機でも和樹が千円札を入れるや「牛丼大盛りで。」と言いのけたポン太だった。和樹はそれを無視して「並」のボタンを2回押した。
柳瀬の家の経済事情は知らないが、おそらくポン太は、金のことで苦労したことがない。それを弟気質だの末っ子気質だのと言われるとしたら同じ立場の和樹としては心外だが、要は甘ったれなのだ。何につけても誰かがなんとかしてくれる、と思っている。確かにそこが素直で可愛いところではあるとは言え、高校を中退して、わざわざ上京して1人暮らしをしてまで入った専門学校が、「就職には役立たない」としたら、親はどう思うのだろう、と思う。
「なあ、専門学校ってさ、専門的な技術とか知識とか身に着けて、仕事に役立てるためにあるんじゃないの。」と和樹は言った。
「そっすね。」ポン太は肉が見えなくなるほど紅生姜を載せる。
「そっすね、じゃなくて。ギター作るコース通ってもさ、その仕事には就けないって話、ちゃんと聞いたか? そんなんじゃ、親に高い学費出してもらって専門に行っても、無駄じゃない?」
「学費は俺、自腹っすよ?」
「え。」
「俺のバンド、一瞬、インディーズだけどデビューして、そこそこ売れて。調子こいてグッズ作って売ったら、それもそこそこ売れたんす。それメンバーで山分けしたら、学費分ぐらいは俺んとこにも入ってきたんで。」
「マジ?」
「ふぁい。」ポン太は牛丼を口に詰め込んだまま返事をした。「でなきゃうちのババアが許すわけないっすよ。すんげ、ケチなんす。」
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