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第650話 ベリーミックスパンケーキ (5)
「いいじゃないすか。荷造りするんでしょ? どうぞ。俺はちょっと休憩っす。」
「勝手に決めんな。外から帰ってきたままで、汚いだろ。」
「汚くないっすよ。朝シャンしてきました。」
「他人にベッド使われんの、気分的に嫌なんだよ。」和樹はポン太を睨んだ。
「へえ、結構細かいんすね。」ポン太は素直にベッドから下りた。「あーでも、そっすよね。涼矢さんだけっすよね、これ使っていいのは。気ぃつかなくて、サーセンした。」
冷やかす口ぶりでもなく、ポン太は言った。至って真面目にそう思い、真面目に謝っているつもりのようだ。そして、言っている内容はその通りなのだが、そう真っ向から言われたら言われたで、やはり恥ずかしい。だからそれには触れずに「すぐ用意するから、待ってて。テレビのリモコンはそのボックスに入ってるから。」と言った。
「ういっす。」ポン太はそう言いながらも、結局はスマホをずっといじっていた。
実家に帰る分には、荷物はそんなに要らない。着替えをいくらか詰めればほぼ終わりだ。
「なあ、お土産、要るだろ? お母さんとか。」
「ババアは別にいいけど、友達に買って行きたいっす。あと、ばあちゃん。」
「ばあちゃん?」
「離れに住んでるっす。ちょっとボケてきて、ババアが面倒見てるっす。」
それを聞いて祖母は「ばあちゃん」、母親は「ババア」と呼んでいるのだと察した。そう言えば柳瀬も母親のことを「ババア」と呼んでいたことを思い出す。
「だったらお母さんにも買ってあげれば。」
「俺、聞いたんすよ。なんか欲しいもんあるかって。けど、もったいないから要らねって。」
もったいない、は和樹の母親も口癖のように言う。それでも、年末にクリスマスコフレを買って行った時には嬉しそうだった。――ポン太が買わないなら俺が買えばいっか。帰りの交通費出してもらってるんだし。
「ばあちゃんは甘いもんがいいかなあ。まんじゅうとか。」
「東京のお土産にまんじゅう?」
「やらかくて、甘いもんなら何でもいっす。モノ買ってっても、あんまよく分かんないだろうし。」
「有名なお店にこだわらなくていいなら、行きがけに商店街に寄って行こう。なんかあるだろ。」
「うす。」
一通りの支度を終えて、和樹は遮光カーテンを閉め、ガスの元栓を確認する。しばらく留守にするから、一応冷蔵庫の中身もチェックした。外に出て、鍵を掛ける。よし、と思って振り向くと、アパートの外階段を上がってくる足音が聞こえた。2階まで来ると和樹と目が合った。隣家の住人だ。土曜日で仕事は休みなのだろう。
「あ、ども、こんちは。」
和樹が挨拶すると、隣人は会釈だけを返した。
「誰すか。」とポン太が無遠慮に言う。
「お隣さん。」
「ああ。」ポン太も隣人にひょこっと頭を下げた。「俺は和樹さんの地元の友達の弟で、そんで今から地元帰って、何日か留守にするんでよろしく。」
面食らった顔をしてるのは隣人ばかりではなく、和樹もだ。「おい、いきなり何言い出すんだよ。」と小声で言う。
「だってお隣りさんでしょ。」
地元だったらそれだけで親しくする理由になるけど、ここではそうじゃないんだよ。そう教えたい和樹だったが、隣人を目の前にしてそんなことをしている場合ではない。「すいません。」とりあえず隣人に頭を下げた。
「あ……、はい、行ってらっしゃい。」と隣人は戸惑いつつも答えを返し、片手にコンビニの袋をぶらさげたまま、もう片方の手で鍵を開け始めた。見慣れない男の登場に焦ったのか、なかなか開かない様子だ。そして、その作業が終わるまで、和樹たちは廊下を通過できない。幅が狭くて、隣人が場所を塞いだ形になってしまうのだ。
隣人は途中でそれに気づいたらしく、いつだったか涼矢と一緒にいた時と同じように、作業を止めてドアに貼りつくようにして場所を空けた。「あ、どうぞ、先に通って。」
「す、すいません。」和樹はその背後を通りぬけた。ポン太もそれに続く。
無事に通過できると、隣人はハッとして和樹に言った。「三代川 です。あの、僕の名前。」
突然何を、と思って気付いた。さっきポン太が名前を出したから、自分も名乗らねばと思ったんだろう。律義な人だ、と思う。「えっと……都倉です。都倉和樹。」
「あ、三代川慧樹 です。」更に言い直す。
「ミヨカワケージュ。」ポン太が繰り返すと、それは外国語のように聞こえた。
「ええ、あの、分かりにくい名前ですみません。後でメモに書いて、ポストにでも入れておくから。」
別にそんなことまでしなくても、と思ったが、それを言ったら失礼だと思い直す。「はい、すいません。」
「じゃ、気を付けて。」三代川はペコリと頭を下げて、鍵を開ける作業を再開した。今度はすぐに開いた。
道路を歩いているとポン太が「謝ってばっかっすね。」と言い出した。
「はい?」
「さっきの。和樹さんも、ミヨカワさんも、『すみませんすいません』って。」
「そう?」
「そっすよ。お隣と仲悪いんすか?」
「悪くはないけど……ていうか、交流しないから。」
「名前も知らなかったみたいだし。」
「そんなもんだよ。」
「それが東京っつうもんすかね。」
「うん。」
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