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第652話 ベリーミックスパンケーキ (7)
そんなことを急に言われても何が何だか分からない、と言いたげな表情の明生に向かって、和樹は説明した。「彼は涼矢の幼馴染で、東京の専門学校に入りたいらしく、下見がてら東京に来て、なんでだか俺が面倒を見させられているところです。」
それなのにポン太は「和樹さんのダチっす。」と自己紹介した。
「ダチじゃない。おまえは涼矢の舎弟であって、俺とは何の関係もない。」
「何言ってんすか。このイカしたピアスできんのも、俺が穴開けてあげたおかげじゃないっすか。あんとき、和樹さん超ビビってておもしれかった。」ポン太はにやにやしながら和樹の耳を指差した。
和樹はそんなポン太の肩を押す。「ポン太、おまえ教育上よくないわ。もう行こう。」
そして、明生に挨拶して別れようとした矢先に、明生が言った。「その人と出歩いてるとこ見られたら、また先生らしくないって、教室長に怒られそうですもんね……。」
「まったくだ。」和樹はため息をつく。が、すぐに違和感を覚えた。「なんで知ってんの。」
早坂に生徒との馴れ合いについて注意を受けたのは、生徒はもちろん、他の講師もいない場のことだった。明生が聞いていたはずがない。そのことを知っているのは、ただ一人、涼矢だ。涼矢にしか話していない。涼矢にだって愚痴や弱音は極力言わないようにしているから、あの時は例外的だったのだ。忘れるわけがない。
明生は明らかに動揺して「じゃ、僕、用事があるんで失礼します。」とその場から逃げようとした。和樹はその行く手を遮るように立ちふさがる。
「ブラブラしてるだけって言ってただろうが。」明生の矛盾をつくと、さすがに明生は何も言い返せずに、その場に立ちすくむしかない。「塩谷くん? ちょっと話しようか。きみの好きなチーズケーキごちそうしてやるよ?」
和樹は有無を言わせず、近くのカフェに入った。ゴールデンウィークの時には涼矢と明生の3人で入ったあの店だったのは偶然だ。
「チーズケーキセットでいい?」メニューを開きながら和樹は言う。
「お、お茶だけで結構です。できれば、アイスティーを……。」明生は怯えながら言う。
放置するわけにいかずに連れてきたポン太は、遠慮することなく「俺はこのデラックスフルーツパフェがいいっす。」などと言ったが、和樹は高額なそれは却下し、500円以下にしろと言った。
「どうしてチューボーはケーキセットで、俺はワンコインなんすか。」
「おまえには昼飯食わせてやっただろ。」
「牛丼なんかワンコイン以下じゃないっすか。しかも地元にもあるっすよ! もっと東京っぽいのが食べたいっす。あ、じゃあこの、ベリーミックスパンケーキっての。650円だけど、500円に近いからいいっしょ? セットじゃなくて良いんで。水で良いんで。パンケーキって女子に人気のアレっすよね? こういう、フォトジェニックなスイーツが流行りってテレビで言ってたっす!」
熱弁を振るうポン太に和樹は辟易し、面倒になってそれをオーダーしてやることにした。
「……もういい、それ頼んでやるから、黙ってろ。で、明生も遠慮せず食べな。」
「じゃ、プリン……。」
蚊の鳴くような声で明生は言う。
「何、一番安いの選んでるの。明生さ、何か俺に後ろめたいことでもあるわけ?」
「……。」ついには黙り込んでしまう明生に、和樹は厳しく「あるんだよね?」と詰め寄った。
明生がうつむいて縮こまっていると、店員がオーダーを取りに来た。和樹は一通りの注文をして、再び明生を見る。店員との短い会話でクールダウンしたようで、さっきよりは少しだけ表情が柔らかい。
「明生。この間から、ちょっと冷たい態度取ってたのは悪いと思ってるよ。それをおまえが気にしてるのも分かってた。」
声もだいぶ優しい。日頃の授業の時よりも優しいほどだ。
「いえ、別に……。」うつむいたまま明生は返す。
「その理由のひとつは、まあ、例の件な。それも関係ないとは言わないけど、一番は、教室長に言われたからだよ。おまえがさっき言ってたの、それだろ。」
明生の好意は受け取れない。明生が告白するより先に……と言うよりは、明生には告白するつもりなどなかったのに、先回りして牽制した。そのせいで明生を傷つけてしまった。傷つけたくなくてしたことだったのだけれど。だが、よそよそしく振る舞っていたことの直接的な理由は、その件よりも早坂からの注意だ。
何も答えない明生に、和樹は畳みかける。「で、問題は、どうして明生がそれを知ってるのかってこと、だよな?」
ようやく明生は顔を上げた。「そんな気がしただけです。急にみんなのこと、なんとかくんとか、なんとかさんとか呼んだりして。でも、他の先生もそう呼ぶから、先生たちの間で、そういうルールがあるのかなって。」
とっさに思いついた言い訳にしては、よくできている。だが、理屈の割に挙動に落ち着きがない。
「だったら、そんな風にビクビクする必要、ないよね?」
「ビクビクなんて……ちょっと緊張してるだけです。人見知りなんで。」明生は誰かに助けを求めるように視線だけキョロキョロさせる。やがてその視線はポン太のところで止まったが、当のポン太はぼんやりと窓の外を見ていて、こちらのことには関心がなさそうだ。明生がそれにがっかりするのが伝わってきた。
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