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第658話 泡沫 -うたかた- (2)
和樹は差し出されたポチ袋をいったんは押し戻すが、もう一度勧められた時には素直に受け取った。「じゃあ、遠慮なく。すみません、ありがとうございます。」
ポン太の母親は、ふん、と苦笑した。「涼矢も昔からしっかりしてたけど、それは人一倍良い子で、特別なんだと思ってた。でも、違うんだね、うちの息子共がダメなんだわ。都倉くんだっけ、あなたも総一郎と同い年なんだよね? はあ、まったく、やんなる。」さっきまでより数段くだけた口調になる。それに加えて、涼矢を呼び捨てにしているのが気になる和樹だったが、幼馴染みの親なのだから、そんなものだろうと自分を納得させた。
「でも、俺らよりいい大学入ったし。」と和樹が言った。
「1年余分にかかってね。」
ポン太と同じことを言う。さては母親の愚痴の受け売りか、と和樹は思う。「今日は、柳瀬……兄貴のほうは、いないんですか?」
「ああ、なんかね、サークル合宿がどうのって。あの子がいれば、あれに面倒見させたんだけど。ごめんね、都倉くんにまで迷惑かけて。」
「いえ、こちらこそ助かりました。夏は帰省するのやめようと思ってたんです。新幹線高いし、バスは疲れるし。」
「そんなこと言わずに、たまには顔見せてあげなよ。」
「はい。」
「涼矢もね、お母さんに過労で倒れないようにって言っておいて。もう若くないんだから。」
涼矢は苦笑いを浮かべて、頷いた。
柳瀬家を出て、2人は深く息を吐いた。無言のまま、車に乗り込む。
エンジンをかける涼矢に、「おまえんち、すぐだろ。」と和樹が話しかける。それと同時に、涼矢が「うちに寄ってく?」と聞いた。
声がかぶったせいで、今度はお互いに返事を待つ羽目になり、妙な間が空いた。どちらも口を開かないうちに、涼矢は車を発進させた。
「今、うち、誰もいないから。」と涼矢が言った。
「……泊まれないよ? 今日の夜帰る、って言っちゃってあるし。」
「うん。どっちみち佐江子さん、遅くはなるけど帰ってくるはずだから、その前に、送るようにする。だから、少しだけ。」
「うん。」
それからまた無言になった。
間もなく涼矢の家が見えてきた。だが、その前を通り過ぎて、二度の右折をする。涼矢の家の裏手の細道に出るようだ。涼矢が車を一時停止させて手元で何やら操作をすると、シャッターが上がる。中はスロープになっているようだ。車は再び動き出し、地下の駐車場に入っていく。
「こうなってたんだ。」
「うん。」
車を降りてからも、和樹はキョロキョロしてしまう。車は2台は余裕を持って停められる。佐江子の軽自動車は出払い中だ。それから工具でも入っているのか、キャビネットがある。スタッドレスタイヤも積み上がっている。
「こっち。」手招きする涼矢に着いていくと、家の中に続く階段があった。「あ、靴は玄関に置いてきたほうがいいな。帰る時は俺が表に車回すし。」
和樹は言われるがままに靴を手にして、室内に入る。バスルームの隣に出た。勝手知ったる玄関に行き、靴を置く。
和樹が振り向くと同時に、涼矢がいきなり腰から抱き寄せる。「おかえり。」と言って、こめかみに唇を押しつけてきた。
「ただいま。」和樹は涼矢にキスをする。「ここ、玄関。」
「ん。」
「佐江子さん、帰ってきたら困る。」
「ん。」
涼矢はようやく体を剥がし、その代わりに和樹の手を引いて、2階に上がった。涼矢の部屋に入ると、また性急に和樹を抱き締めた。
「早く2人きりになりたかったの、おまえのほうだろ?」と和樹が笑う。
「俺も、おまえも、だろ?」
和樹は返事の代わりにニヤリと笑い、またキスをした。だが、唇を離すとこう言った。「なあ、俺、メシ食ってないんだってば。」
「ちょうどいい。」
「ひっで。」
「終わったらなんか食わしてやるから。」そう言う傍から、カチャカチャと音を立てて、ベルトを外した。
「ちょっと待てって。」和樹は涼矢を押し返す。「明日もあるから。明日なら俺、早く来るし、佐江子さん仕事だろうし、そのほうがゆっくりできるだろ。」
「それはそれ。」涼矢は和樹を離さず、首筋に舌を這わせる。
「こら、もう。焦んな。分かったから。」和樹はもう一度グイ、と涼矢を押しやった。それから潔く服を脱ぐ。まだ上着も脱いでいなかった。全裸になると「やっぱシャワー借りようかな。1日動き回ってたし。」と言った。
「え、今それ言う?」
「いつ言うヒマがあったよ?」和樹は脱いだ服を抱えると、そのまま部屋を出ようとした。
「おい、そのカッコで? おふくろ帰ってきたら……。」
「おまえが足止めしといてくれよ。」
「無茶な。」
「おまえが先に無茶言い出したんだ。」和樹は涼矢を置いて、部屋を出た。
シャワーの後には服を着直してくるのだと思っていたが、佐江子がまだ帰ってきていないと知ると、結局また全裸で戻ってきた。そんな和樹を、涼矢はベッドの上でパンツ1枚で待っていた。
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