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第660話 泡沫 -うたかた- (4)
「本当は今日帰る予定じゃなかったんだ?」和樹が聞いた。
「ああ。……いや、予定は合ってるんだけど、ええと。」柳瀬はもごもごとはっきりしない。かと思うと、突然「おい、ポン太、ちょっとあっち行ってろ。」とポン太を追い払おうとする。どうやら聞かれたくない話をしようとしているらしい。
「なんでだよ。」一方的な退場命令にポン太はムッとする。
「後で俺の分の唐揚げも食っていいから。」
和樹は、いくらポン太でもそんなこどもだましの条件で承諾するものかと思ったが、ポン太はおとなしくその場を離れ、テレビの前のローソファに移動し、テレビをつけた。そんなことをしている隙に、和樹も柳瀬と涼矢に背を向けて、スマホで実家に連絡を入れる。口頭の会話は面倒でメッセージで「柳瀬の弟送ったら夕飯ごちそうになることになった。遅くなりそうだから、こっち泊まる」と送信した。泊まるのは涼矢の家だが、説明が煩わしいし、少し恥ずかしくて曖昧な書き方をした。
再び柳瀬に目をやると、柳瀬はどこから話せばいいかと思いあぐねている顔で突っ立っていた。和樹と目が合って、ようやく口を開く。「本当はさ。」柳瀬は手にした箸を筮竹 のように束ねて、擦り合わせるようにした。「親にはサークル合宿の日程を2日ばかり長く嘘ついて、ヒナと旅行に行く計画してたんだ。」
涼矢と和樹は顔を見合わせる。確か、彼女とは別れたとポン太が言っていた。
「ホテルとかも手配してあって……けど、直前に別れちゃって。んで、親に訂正するの忘れてて、そのまま普通に合宿行って帰ってきた。ババアの顔見てそのこと思い出して、慌てて日程勘違いしてたって誤魔化したら、うちのババア、だったらポン太を今日行かせたりはしなかった、おまえらにまで迷惑かけてどういうつもりだ、なーんてすげえ剣幕で怒り出してさ。うるせえから部屋に引っ込もうとしたら、これ持って謝ってこいって。」柳瀬は視線でテーブルの上の唐揚げを示した。
「そういうことか。」と和樹が呟く。「高3の時からだっけ、つきあってたの。」
「ああ。おまえらより少しだけ先。」
「2年ぐらいか。」
「うん。去年は俺が浪人してたせいであんまり会えなかったけど、結構うまくやってたんだ。それなのに、今年になってからは、なんか、ギクシャクしてさ。大学も違うし、お互いバイトもしてて、タイミング合わなくて、去年より会えなくなった。ほら、浪人中って、俺は予備校や模試ぐらいしか用事ないわけじゃん? 年間のスケジュールも決まってたし、あとは彼女がそれに合わせて予定入れてくれれば、確実に会えたんだ。けど、今年は、俺には俺の新しい交友関係もできただろ? ヒナにしてみりゃ、1年我慢して、今年こそって思って遊ぶ計画立てたのに、俺はバイトのヘルプ要請が来ただのサークルの先輩にメシ誘われただのって、結果的にヒナとの約束のほうドタキャンしちゃったりしてさ。そういうことが積み重なって。」
「もっと彼女に合わせてあげればよかったのに。」そう言ったのは和樹だ。涼矢はこの話題になってから一言も発していない。
「そうなんだけど、俺は大学入って、周りが全部新しい環境で、余裕なかったっつーか。ヒナは2年目だから、そのへんの感覚もきっと違ってたよね。」
「ま、仕方ないよな。」和樹は軽い口調で慰める。決して軽い気持ちというわけではない。経験上、そのほうが言われる立場としては気が楽だったからだ。
「おまえらも、今が順調なのは、滅多に会わないお陰かもしれないぜ?」柳瀬は横目で和樹を見て、そんなことを言った。
「滅多に会えないのを知りながら、図々しく押しかけてくるのはどうかと思うけど。」涼矢がようやく口を開いたと思えば、そんなセリフだ。
「へいへい、悪かったね。食ったら帰りますよ。」
「食うのかよ。俺らへのお詫びの品じゃないの。」
「だって全部こっち持ってきちゃって、家に帰っても食うものないよ。少し時間経ってから帰ったほうがババアの怒りも鎮まるだろ。」
「おばさん、怖いからなぁ。」涼矢が呟くのを和樹は聞き逃さなかった。
「涼矢も怒られたこと、あんの?」
「こいつはほとんどない。」答えたのは柳瀬だ。「良い子過ぎるっていう、理不尽な怒られ方はしてたな。」そう言って思い出し笑いをするように笑った。「うちのババアさ、自分が昔ヤンキーやってたから、暴れる分には男はそれぐらい元気じゃなくちゃ、なんて言って怒らないんだけど、涼矢みたいな奴は宇宙人みたく思うみたいだ。」
「我慢しなくていいんだよってよく言われた。我慢してたわけじゃないんだけど。」と本人が補足する。
和樹はその様子が想像できて、つい笑ってしまう。
「何かっちゃあ怒られるの俺なんだ。涼矢がぽつんとしてりゃ、なんで誘ってやらないんだって怒られるし、ポン太がアホなことすりゃお兄ちゃんなんだからちゃんと見てろって怒られるし。」
「貧乏くじだな。」と和樹はまた笑う。
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