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第661話 泡沫 -うたかた- (5)
「ほんとだよ。しかも言葉より先に手ぇ出るからさ、うちのババア。……都倉って兄弟いるんだっけ。」
「兄貴が1人。」
「おまえは弟か。」
「ああ。」
「なんだ、俺だけだな、長男坊。」柳瀬がポン太のほうを見る。「せめてアレが可愛い妹だったら兄貴も悪くねえと思うんだけど。」
「アレが女だったらもっと悲劇だろ。」と和樹が言う。
「ババア、化粧取るとポン太そっくりなんだよな。女だとああなるかもな。うっわ、悲惨。」
「おばさん、化粧上手なんだな。」と涼矢が言った。
「え、今のなにげにひどくね?」と柳瀬が言い、笑った。和樹と涼矢もつられて笑う。
笑い声が聞こえたのか、「ずりぃよ、俺だけ除けもんにして。」と、ソファに寝そべっていたポン太が起き上がる。
「もう終わったから、こっち来ていいぞ。メシ食おう。」柳瀬が言う。ポン太はテレビをつけたままダイニングテーブルに移動してきた。画面はバラエティ番組。そう言えば涼矢と2人の時は、ほとんどテレビを見ないな、と思う和樹だった。
それから賑やかな食事が始まった。食卓は柳瀬たちの持ってきた唐揚げとポテトサラダ、それに涼矢がレンジで解凍した白飯だけだったが。柳瀬はポン太に自分の分のすべての唐揚げを取られて「1つぐらい残してくれても」と文句を言う。ポン太は聞く耳を持たない。
「佃煮みたいなもんで良ければあるけど。」と涼矢が言う。
「くれ。」
「自分で取ってこい。冷蔵庫にある。」
「了解。」柳瀬はためらうことなく冷蔵庫を開け、それらしきものを取り出す。それから玉子と醤油まで持ってきた。「玉子かけごはんにしよ。」と白飯の上に玉子を直接割り落とす。
和樹はチラリと涼矢を見るが、気にする様子はない。別に玉子ひとつでとやかく言うつもりもないが、そんな些細な図々しさとそれを許容する関係が妬ましい。
「俺も東京行きたかったな。」と玉子とごはんを混ぜながら柳瀬が言った。
「そうだよ、おまえが連れて行けばよかったんだ。」と和樹が言った。
「和樹さんで良かったすよ。」さっきからテレビと唐揚げしか目を向けていなかったポン太が言った。「俺も早く東京で一人暮らししたいっす。」
ルームシェアしたい……ではなくて良かったと和樹が安堵していると、ポン太は「あのアパートに空き部屋が出たら教えてください。」と言い出した。
「だから、やだって。」
「一緒の部屋じゃないっすよ?」
「当たり前だ。」
「何、おまえ、都倉の部屋まで行ったの?」と柳瀬。
「ああ。」兄に対してはぶっきらぼうなポン太だ。
「どんな部屋?」
「でかいベッドがどーんとあって。すげ、ふかふかで寝心地最高。俺のベッドとは違う。」飯粒を飛ばす勢いでポン太が言った。
和樹と涼矢の間に緊張が走った。
「馬鹿、ポン太。その話、今すんじゃねえよ。」柳瀬がポン太を睨む。
「あ? なんだよ、自分が行けなかったからって。」
「違うよ、馬鹿。涼矢見てみろ。」
「あん?」ポン太は涼矢を見る。別にどうと言うことはない。いつも通りに見えた。「俺、なんかマズイこと言ったっすかね?」
「いや、別に。」涼矢の前には白飯はない。和樹の迎えに出る前に軽く食べていたので、おかずを少しつまむ程度にしたらしい。そして、別に、と言いながらも、唐揚げに箸を突き立てて、一口で頬張った。食べ物に箸を突き刺すことも、口いっぱいに頬張ることも、普段なら決してしない涼矢だ。
「おまえさ、人んち来て、いきなりベッドにダイブすんの、やめたほうがいいよ。」和樹が言った。ポン太への説教だが、実態は涼矢に対する弁解だ。
「サーセン。」何故やめたほうがいいのかについては、あまり理解していない表情で、ポン太が言った。
「なあ、そう言えばさ。」柳瀬はその場の雰囲気を変えようと懸命だ。「2人って、ツーショット写真とか撮ったりすんの? 俺、撮ってやろうか?」
「撮った。」と涼矢が無愛想に言う。
「でも、ちゃんとしたのは、観覧車の時の、あれだけだよな。」和樹が言った。
「おまえの部屋でも撮った。」
「でも、ブレブレだったし。」
「……撮ってもらいたいの?」涼矢は和樹に問う。変なことをしたがる奴だ、とでも言いたそうな顔だ。
「まぁ、そりゃ。あんま、そういう機会ないから。」
「ふうん。じゃあ、撮ってもらえば?」
「おまえが嫌なら、無理にとは言わないけど。」
「別に無理じゃない。」
柳瀬は焦ったように「どこで撮る?」と聞いた。
「そうだなぁ。」和樹は部屋を見回す。「あのへんが一番絵になるんじゃない?」アップライトピアノの置いてある壁を指差した。
「じゃあ、そのへんで。」腰を浮かしかけた柳瀬を、涼矢は制止する。
「メシ食って片付けてからな。んで、写真撮ったら帰れ。」
「分かったよ、もう。」柳瀬は座りなおして、玉子かけごはんをかきこんだ。「あ、都倉はどうすんの。家に帰るんだっけ。」
「あー、いや。」和樹は涼矢を見た。「遅くなりそうだから泊まるって伝えた。」言いながらポケットのスマホを出し、恵からの「分かった」という返信を確認した。
ようやく涼矢の顔がほんの少し和らいだ。「悪いことしちゃったかな。家の人に。」
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