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第662話 泡沫 -うたかた- (6)
「うん、まあ……。でも、どうなるか分かんないから、食事は準備しなくていいとは言ってあったし。」それでも恵のことだから、ビーフシチューでも作って待っていたとは思う。それを言ったら涼矢を傷つけそうで言えないけれど。――いや、涼矢だってそのぐらい察しているかもしれない。どちらにしろ、珍しく涼矢から強引に泊まって行けと言われて、ドキッとした。そして嬉しかった。それを断る選択肢はなかった。
「そっか。」和樹の言葉に罪悪感も少し薄れたのか、涼矢の表情は更にほぐれた。
「おばさんは? 仕事?」柳瀬が涼矢に聞く。
「ああ。ちょっと今面倒な案件に関わってるみたいで毎日遅い。昨日も午前様だった。」
「相変わらずパワフルだな。……けど、帰っては来るんだ?」
「どういう意味だよ。」
「親がいて泊まりってのも、なかなかスリリングだろうなって。」
「俺の部屋、音はほとんど響かないからな。真下がピアノだから防音完備。」
「うわ、聞きたくねえな、おまえらのそういう話。」
「おまえが言い出したんだろうが。」
「まっ、いいや。」柳瀬は食べ終わった食器をシンクへと持って行く。
「これも。」と涼矢はその他の空いた皿を指差す。
「俺が片付けるの?」
「片付けないの?」
「あ、俺、やるっす。」ポン太が椅子から立ち上がり、テーブルの上の皿を重ねはじめた。
「えらいえらい。」こどもをあやすように涼矢が言う。
ポン太が皿洗いを始めると、柳瀬は涼矢と和樹にピアノの近くに立てと指示を出した。和樹が自分のスマホを差し出す。「これで撮って。」
「おう。涼矢のスマホは?」
「後で和樹に画像送ってもらうからいいよ。」
「あっそ。」柳瀬はスマホを構える。「もっと寄って。」
「寄ってるだろ。」涼矢が言う。
「仲良さそうに見えない。もっと、ぎゅっと、くっついて。」
和樹が涼矢の肩に手を回して、自分に引き寄せた。涼矢は一瞬身を固くしたが、抵抗はしなかった。
「お、いいねいいねー。」柳瀬が笑い、シャッター音がした。
「チューもしとく?」和樹はわざと唇を尖らせて、涼矢の頬に向ける。これにはさすがに嫌がる素振りを見せる涼矢だった。
「あ、それは勘弁。2人になってからにして。」柳瀬は笑いながら和樹にスマホを返した。
「変なの。俺らのラブラブっぷり、見たいの? 見たくないの?」からかう口調で和樹が言う。
「見たくない。」
「けど、ツーショットは撮りたがる。」
「娘夫婦には仲良くしててもらいたいけど、かといって娘がダンナとチューしてるのは見たくないだろ、父親として。」
「どういう立場で言ってるんだよ。」和樹は笑った。
「おまえが父親だったらとっくにグレてる。」と涼矢が言った。
「話をややこしくすんなっつの。」和樹は笑いながら涼矢の髪をくしゃっと触る。
「……んじゃ、帰るわ。」柳瀬は近くに放っていたバッグを手にする。「おい、ポン太。帰るぞ。」
「ちょま、まだ残ってる。」
「もう、慣れないことするから。」柳瀬はローソファに座りこんだ。
「あ、そうだ。」和樹が柳瀬に返されたばかりのスマホを操作しだした。「今の写真、送る。」と涼矢に言う。それから「それと、明生に俺が無事着いたって言っておいて。俺、塾のルールで、生徒と個人的にやりとりしちゃダメなんだ。」と言い添えた。
「ああ。」涼矢はテーブルに置いてあった自分のスマホを取りに行き、操作しながら、和樹の元に戻ってきた。「あ。やべ。」
「何。」
「明生くんに今の写真送っちゃった。」
「え。」
「……もう既読ついちゃった。」
「マジかよ。」和樹は慌てて涼矢の画面を覗きこんだ。「あちゃ。……んじゃ、そうだな、なんかそれらしいこと、宿題やったか?とか、そういうの送って。」
「誤魔化せないだろ、そんなんで。」
「いいから。」
涼矢は和樹の言われるままに文言を入力し、送った。
「誰?」と柳瀬に尋ねられて、和樹がおおまかな経緯を説明した。もちろん、明生と涼矢との連絡は和樹には秘密にされていたことと、そのせいでケンカになりかけたことは隠して。
明生からの返信はすぐに届いた。
[今の、都倉先生が送ったんでしょ]
[送れと言われた]
涼矢が馬鹿正直に答え、和樹に軽く小突かれた。いつの間にかポン太まで寄ってきて、4人で涼矢のスマホを覗き込んでいる状態だ。
[たのしそうでいいですねー]
明生がそんな冷やかしを送ってきて、柳瀬が吹き出す。
[ポン太とポン太の兄貴も一緒だよ]
[なんだ、2人きりじゃないんだ かわいそ]
いよいよ柳瀬の笑い声は大きくなり、反比例するように和樹の表情が険しくなった。
[変なこというと また怒られるから]
涼矢は明生宛てと言うよりは、傍で見ている和樹に向けてそんなことを書く。
[おこられたんだ]
[怒られました]
その文面を見た和樹が「怒ってねえだろ!」と声を荒げた。まるでそれが聞こえたかのようなタイミングが明生からの返信が来る。
[僕のせいですね すいません]
[気にしないで と言いたいところだけど 今も隣で怒りだした 「怒ってない」って言いながら怒ってる]
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