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第666話 泡沫 -うたかた- (10)
「言うな、馬鹿。」すがりつくところが他になくて、和樹は涼矢の腕をつかみ、爪を立てた。だが、きれいに短く切り揃えられた爪は涼矢の腕を傷つけることもなく、ただ圧迫された跡がつくだけだった。体毛の処理や爪の手入れが行き届いているのは、水泳選手だった頃の名残の習慣だ。
「好き。」涼矢はキスをする。「大好き。」
「ん……。」和樹は頷く代わりに自分からもキスをした。「俺も。」
「挿れていい?」
「ん。」
和樹の下半身は相変わらずベッドからはみでていて、涼矢によって支えられているようなものだった。涼矢はベッドと床の段差を利用して、立ったまま和樹に挿入を始めた。さすがにそのままではベッドが低すぎるから、少し和樹を持ち上げるような格好にはなる。和樹の両足を押し上げて、その中心へと入っていく。
「ああっ!」浮かされた腰が、更に和樹自身によって角度が調整される。無意識なのだろうが、自分から快楽のポイントを探す様が艶めかしくて、涼矢はすぐに果てそうになってしまう。――でも、まだ。まだイカせたくないし、イキたくない。そのために一度射精させた。久しぶりのセックスを、充分に味わい尽くしたかった。高めるだけ高めて、どちらかが絶頂を迎えそうになるたびに、涼矢は動きを緩くした。いわゆる寸止めを繰り返して、焦れたのは和樹のほうだ。
「もう、むり……から。」涼矢と目が合っても、熱に浮かされたように曖昧な焦点の和樹だ。「イカせて。」
知らぬ間に毛先を伝って滴るほど汗をかいていた。涼矢は自分も限界だと感じて、ようやく思いきり攻めた。和樹の喘ぎ声。繋がったところからの淫靡な音。汗が目に入って少し沁みる。頬に貼りつく髪がうっとうしくて顔を振る。そんなことをしている間も和樹からは目を離さない。和樹の目が「来て」と言ったように思えた瞬間、涼矢は射精し、体の奥に感じるその熱さに応えるように、和樹も2度目のフィニッシュを迎えた。
2人共しばらく肩で息をしていた。涼矢はペニスを抜き、コンドームの処理をする。和樹のそれは仰向けの和樹の腹に飛んでいた。それも拭ってやる。精根尽きたという風情でベッドからだらりと足を下ろした和樹は、もう少しでベッドからずり落ちてしまいそうだ。その両足を持って、ベッドに乗せた。
「愛してるよ。」涼矢はベッドに寝かせた和樹の横に自分ももぐりこみ、そう言って、頬にキスをした。
「うん、俺も。」和樹は微笑むが、さすがに疲れた様子だ。
「ごめん、無理させて。」
「いつものことだろ。」
「今のもだけど、泊まって行けってのも。」
「あー、うん。それね。でもま、いいよ。おまえがそんなわがまま言うの、珍しいし。」
「ポン太の面倒とか。明生くんの件とか。ほんとにいろいろ迷惑ばっかかけて。」
和樹は顔を横に向けて、涼矢を見た。「迷惑じゃないよ。」
「ごめん。」
「謝るなって。」和樹は涼矢の頭を撫でる。「俺が面倒くさがりなの、知ってるだろ。ほんとに迷惑だと思ったら我慢なんかしないで、ちゃんと言うからさ。」
「うん。」
それからまた天井を向く。アイピローのように腕を目に載せた。「けど、今はちょっと……休ませてくれる?」
「寝るなら、なんか着るもの。」
「いや、要らない……やっぱ要るかな。このまま目つぶってたら寝落ちしそう。」
涼矢は黙ってベッドから抜けて、和樹のための部屋着と下着を用意して、戻ってきた。そのわずかな間に、和樹は寝息を立てはじめていた。半分寝ぼけている和樹になんとか下着のパンツを穿かせ、Tシャツを着せ、ハーフパンツを穿かせた。
「ごめん、疲れてたよな。」涼矢はそっと和樹の頬に触れる。少し髭が伸びてきたのか、ざらざらしていた。早朝のポン太の迎えから始まった長い一日だ。疲れていないわけがなかった。
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