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第676話 重ねる時間 (3)

 和樹はベッドの上に立ち、天井に手を伸ばした。手は届くが、ポスターは画鋲で留めてあって、短い爪では引っかかりもせず、剥がすことまではできなさそうだ。 「何やってんだ?」いきなりドアを開けたのは宏樹だ。突然の声に驚いて、和樹はベッドの上でよろけた。 「ノックぐらいしろよ。」 「ごめん。」宏樹は素直に謝る。宏樹の謝る姿に、和樹は涼矢と抱き合う姿を目撃された朝を思い出してしまった。それを打ち消すために慌てて話題を変える。 「画鋲取るやつ、持ってない?」 「画鋲?」宏樹は和樹の視線が天井のポスターにあることを見て、察した。「あったと思う。ちょっと待ってろ。」  間もなくして宏樹が戻ってくる。画鋲を箱ごと持ってきたようだ。その蓋を開け、画鋲に紛れた画鋲抜きを取出すと和樹に渡した。和樹は礼も言わずに受け取ると、画鋲を外し始めた。 「剥がしちゃうのか?」 「うん。」 「なんで? 東京に持っていくのか?」 「いや、捨てる。」昔ほど熱狂的に好きなわけではなく、未練は特にない。 「捨てちゃうならくれ。」 「このバンド好きだったっけ?」 「いや、そのぐらい大きい紙、ちょうど欲しくて。授業に使う。」 「裏紙かあ。」和樹は笑いながら剥がしたポスターを筒状に丸めた。その途中で、ギタリストの顔が見えた。涼矢が、お揃いのアクセサリーならあの人のようなピアスがいいと言った、あのギタリストだ。ポスターの彼の耳たぶにも、今の和樹がしているのと似たデザインのピアスが見えて、和樹の手が止まる。「……悪い、やっぱり捨てないでおくわ、これ。」 「裏紙じゃ不満か?」 「そういうわけじゃないんだけど、もったいなく思えてきた。これ、ライブアルバムの記念ボックスセットの予約特典でさ、レアなんだよね。」事実ではあるが、本当の理由ではない言い訳をした。 「ああ、いいよ。捨てるなら、って思っただけだ。」 「悪い。」和樹はもう一度言った。「……ていうか、帰って来るの早いね。夏休みだから?」 「今日は部活が昼までだったんで。」 「そうか。」  宏樹は部屋の入口に立ったまま、入ろうともしなければ出ていく様子もない。 「それで、何か用だった?」と和樹のほうから聞いた。 「いや、和樹が帰ってきてるっておふくろが言ってたから。昨日は。」そこまで言って、ようやく部屋の中に入り、ドアを閉めた。「昨日は、涼矢のところに?」 「うん。……あ、でも母さんには言わないで。」恵は和樹に口止めをし、和樹は宏樹に口止めをする。家族なのに、少しずつ秘密が増える。 「別に気にしやしないだろ。単なる友達だと思ってるし。」 「俺もそう思う、けど、あいつが嫌がる。」 「涼矢が?」 「うん。」 「自分の親にはバレてるのに?」 「うん。……バレてるから、じゃないかな。涼矢の親と俺の親とは、違いすぎるから。だから怖いんだと思う。」 「それは……難しいところだよな、実際。」 「うん。」 「俺も時々考える。でも、まあ、今は言わなくてもいいと思うよ。2人の気持ちをしっかり固めておく時期だと思えば。もしかしたら最後まで言えないかもしれないし、言えても、理解してもらえるかどうか、俺にも分からんし。最終的には2人の気持ちの問題なわけだから。」 「うん。」  でも、「2人の気持ちさえ」は最終手段なのだと話し合った。いつか和樹の両親にも分かってもらえるよう、やれるだけのことはしよう、ジタバタしようと決めた。……とは言え、宏樹に理路整然と話せるほど自分の気持ちも整理がついていないから、短い返事だけを返した。 「兄貴はその後、何もないの。」和樹はベッドに腰掛ける。宏樹は立ったままだ。 「何もないなあ。まず、出会いがない。」宏樹の勤務校は男子校だ。 「同僚の先生とか。」 「女の先生は相当な年上ばかりで。」 「合コンとか。」さっきの恵の話でそんな単語も思い浮かぶ。 「うーん、ないわけじゃないんだが。」 「あるんだ。先生同士で?」 「いや、まあ、いろいろと。」 「出会い、あるじゃん。」和樹は笑う。 「誘われても時間がないんだよ。土日もなんやかや仕事あるしな。」 「そもそも、欲しいの? 彼女。」  宏樹は苦笑いした。「正直、そうでもない。こどもの相手するのに手いっぱいのところに、彼女のご機嫌取る余裕がない。もう少しベテラン教師になれば違うんだろうが。」 「ご機嫌取る前提なんだ。」 「えっ?」 「ご機嫌は取ってもらう側になればいいだろ。癒し系の子、探してさ。」 「それはモテる奴の言うことだ。」宏樹はムッとする。だが、すぐにまたいつもの柔和な顔になる。「第一、涼矢のどこが癒し系だ?」 「あいつがそうだとは言ってねえよ。」和樹はベッドに背中から倒れこんだ。寝転んだ姿勢のまま続ける。「あいつが俺の機嫌取ったことなんかない。わけ分かんねえ、めんどくさいことばっか言うし。」 「言ってろ。ノロケにしか聞こえん。」宏樹は笑った。「……あ、それでおまえ、いつまでこっちにいるんだ?」 「7月中には戻る。」 「分かった。」

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