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第677話 重ねる時間 (4)
「なんでそんなこと聞くの。俺に何か用事でも?」
「親父、今、上海に出張しててさ。帰るのは明後日だって言うから、おまえと入れ違いになるんじゃないかと……でも、それなら大丈夫そうだな。」
「上海? 知らなかった。母さん、そんなこと一言も言ってなかったから。」
宏樹は気まずそうに鼻の頭を掻いた。「実はな、それ、ちょっと気になってるんだ。」
「え?」
「最近、あんまり仲良くないんだよな、親父とおふくろ。」
「喧嘩?」
「いや、そうはっきりとしたものでもないんだ。おはようだのおやすみだのは言うけど、雑談的な会話がないというか。まあ、俺たちもそれぞれ自立したようなものだしな。」
「俺らの自立と関係あるの。」
「こどものことっていう、共通の話題がなくなるだろ。」
「ふうん。」
いつもの和樹なら、そんな話を聞いてもさほど重くとらえなかったはずだ。けれど、「シングルファーザー」の件や、「いろんな体験をすればよかった」といった発言を聞かされたばかりだったから、妙に気にかかってしまう。――まさか、母さんが浮気? 嫌でもそんな考えが思い浮かぶが、必死にそれを否定した。もし本当にそんなことになっていたなら、息子の俺にあんな話をしないだろう。俺に話したということは、母さんはシロだ。和樹は自分にそう言い聞かせた。
「おふくろも何か趣味でもあればいいんだろうが、こどもにかかりきりだったし、親父は会社人間だしな。今更夫婦で話したいこともそうないんだろう。……って俺が言うのも変な話だけど。ま、そんなわけだから、うちにいる時ぐらい、せいぜいおまえが話し相手になってやれよ。」宏樹が言った。
「かかりっきりで手間かけさせてたのは兄貴じゃなくて俺だもんな。今もね。」
「そんなことないよ。あ、でも、おふくろ、パートやってみようかなって言い出したんだ。賛成したよ、俺。」
和樹は少しホッとした。働きに出ることまでは宏樹にも伝えてあるらしい。「ああ、さっきチラッとそんな話してた。ファミレスのランチタイム。」
「そうそう、そう言ってた。」
和樹は思い切ってカマをかけてみる。「なんでファミレスなんだろうね? 求人広告でも見たのかな。」
「いや、近所の人の紹介って言ってたぞ。学費や仕送りが大変だって話してたら、じゃあ仕事してみないかって誘われ……ああ、気にするなよ? 日本の親ってのは、すぐ自分のこどもを卑下するからなぁ。そういう謙遜が美徳だと思ってるんだ。」
和樹が少々暗い表情をしたのを、宏樹は学費や仕送りのことを気にしたせいだと解釈したようだ。和樹はあえてその勘違いを正さずにいた。やっぱり、宏樹は例のシングルファーザーのことは知らないのだ。それを確認するためのカマかけだ。へたなことは言わないほうがいい。
その晩、父親不在の夕食は、それでも特別に淋しいというわけでもなかった。もともと帰宅時間は日によってまちまちで、日付の変わる頃に戻ってくることも少なくない隆志だ。4人揃っての夕食のほうが珍しい。だからこの日も、上京する以前と変わらない、いつも通りの食卓だった。
恵は和樹の大学のことやアルバイトのことを尋ねる。和樹は大抵のことは正直に答えた。ひとつだけついた嘘は「交際している人はいない」ということだ。けれど、「何もない」では却って怪しまれるから、適当に「たまに食事をする程度の子はいる」と言った。エミリや彩乃や舞子といった女友達とのエピソードを適当に混ぜ合わせ、それらしく語る。
「宏樹に聞いても女っ気はなかったって言うから、安心してはいるんだけどね。」和樹の入院中、宏樹が留守番をした時の話だ。急な入院だ、もし半同棲しているような女の子がいればすぐに分かるはずだから、しっかりチェックしてきてほしいと宏樹に言ってあったようだ。
「変なことはしてません。」と和樹は言った。
「これからもよ。ちゃんとした生活をしなさいね。」
「はいはい。」
宏樹に涼矢とのことを知っておいてもらって良かった、とつくづく思う。が、仮に東京に駆けつけてくれたのが宏樹ではなく恵だったとしても、問題は起きなかったとは思う。「女っ気」がないのは嘘ではないし、涼矢の痕跡はせいぜい歯ブラシが2本ある程度のことだ。さすがにそれだけでは疑われまい。あとはベッドの下にあるローションやらコンドームやらが見つかったら気まずいだろうが、気まずい以上のものでもない。
それでもやはり、誰にも言えないのと、一人でも二人でも知っている人がいるのとでは違う。今も宏樹が途中で話題を逸らせてくれた。
「ちゃんとした生活といやあ、カズ、塾のバイト、続けてるのか?」
「続けてるよ。」
「中学生相手だっけ。」
「小学生もいる。でも今は中学生がメインかな。」
「案外続いてるなぁ。そういう仕事、向いてるんじゃないか?」宏樹はニヤリとする。
「先生ってこと? ……どうだろうね。教えるのは嫌いじゃないけど、俺はただ、言われたことを言われた通りにやってるだけだから。問題抱えてる生徒のことはベテランの先生に丸投げ。」
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