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第679話 重ねる時間 (6)

 涼矢の匂い。涼矢の体温。離れている間、一番恋しいのは、そういうものだ。顔かたちなら写真を見ればいい。声なら電話で聞ける。でも匂いや体温はどうしたって伝わらない。 「どうした?」と涼矢が聞いた。和樹がじっと黙り込んでいたからだろう。  様子を見ようとしたのか、体を離そうとする涼矢を、和樹は制止した。「なんでもない。もう少しこうしてて。」  涼矢は了解、の意味を込めて和樹の背中をポンポンと軽く叩いた。 「和樹の匂いがする。」涼矢がそう言ったので、和樹は少し驚いた。 「同じこと思ってた。」  涼矢はふふっと小さく笑う。「なんか嬉しい、そういうの。」 「そう? おまえ、人のこと気にしないだろ?」 「和樹は別。」 「おまえ、本当に俺のこと好きだな。」和樹も笑い、涼矢の背に手を回す。 「そう言ってるだろ、いつも。」 「うん。」  涼矢の言うとおりだ、と和樹は思う。いつだって涼矢は好きだと言ってくれる。俺が望んで言わせる時も、そうでない時も。涼矢の「好き」を何度聞いただろう。何度聞いても、心地いい。もちろん、好意を言葉にしてもらえるのは誰であれ嬉しいことだけれど、涼矢に言われるのは殊更に。それこそ、「涼矢は別」だ。別格だ。 「俺がそう言ってる限りは、俺のこと好きでいてくれるって。そう言ったんだ。」涼矢が言った。  そのこともさっき思い出した。初めて結ばれた日の会話。傲慢な言葉だった。でも本音だった。今は違う。たとえ涼矢の気持ちが俺から離れてしまっても、俺は涼矢が好きだと思う。そうなったら今度は俺が追いかけるまでのことだ。 「俺がそう言ったから、しょっちゅう好きって言うの?」  和樹がそう言うと、涼矢はゆっくりと、抱きしめていた両手をほどき、体を離した。「それもあるけど、好きだから好きって言ってる。」視線をベッドから降ろした自分の足先に移す。「好きって言えるのが嬉しいから。言ってもいいんだってことが。」  つい今しがた、「好意を言葉にしてもらえるのは誰であれ嬉しい」と思った。バレンタインデーの時の菜月のような幼くて勝手な好意であっても。名も知らない下級生がそっとしのばせてきたラブレターであっても。――でも、それさえもできないことだってあるのだ、と和樹は改めて思い出す。 「好きだよ。」と和樹が言った。涼矢の手を取り、自分の頬に当てる。「おまえに好きって言ってもらうのも好き。おまえの匂いも好き。こういう、体温も。」  涼矢は頬の手の親指だけを動かして、和樹の口にたどりつく。口を割り、その親指を中に入れる。和樹が半開きにされた口をもう少し開けると、涼矢は更に奥へと親指を突っ込む。それを和樹の舌先が舐めた。 「俺とヤルの、好き?」  涼矢のそんなあられもない質問は、これからすることの予告なのだろうと和樹は思う。予告されるまでもなく、こっちだってそのつもりだ、とも。  和樹は口に指をつっこまれた状態で「好き。」と答えた。  涼矢が指を抜く。和樹の頭を抱き寄せて、耳元で囁いた。「抱いていい?」  和樹は「何しに来たと思ってんだよ。」と言い、涼矢の腕から逃れると、潔く服を脱ぎ始めた。 「セックスしに来たわけ?」涼矢が笑う。 「愛情の確認をしに来たんだ。」和樹は芝居がかった言い方をする。 「体で確認?」 「そう、言葉だけじゃ足りなくてね。」 「欲張りだなあ。」 「うん。おまえの『好き』は俺が独占したいの。」  涼矢が和樹をゆっくりと横たわらせる。「じゃあ、俺と同じだな。今日はよく気が合う。」 「おまえも欲張りか。」和樹は涼矢の首に腕を回す。 「うん。」涼矢は和樹にキスをする。  欲深い、とずっと思ってきた。ただ見ているだけでいいと思っていた恋は、成就すれば満足するかと思えば、欲は増える一方だ。和樹も同じだというなら、そう思うことへの罪悪感も薄らぐというものだ。  涼矢の舌は唇から顎へと、それから首へと這っていく。手は和樹の胸から腹にかけて撫でていく。本当かどうか分からないけれど、「涼矢が好きだと言うから」鍛えたという腹筋は、確かに5月の時より固く引き締まっている気がする。それでも現役の水泳選手だった頃は逆三角形を誇っていた上半身は、一回りも二回りも小さくなった。涼矢もそうだけれど、涼矢の場合は単純に痩せたことのほうが大きい。 ――男のごつごつした体なんか、本当は触ったって大して面白くないんだろう。  涼矢はそんな卑屈な思いにとらわれそうになる。同性が好きでも、女性になりたいと思うことはなかった。ただ、和樹を喜ばせる体になりたかったとは思う。 ――でも。  涼矢はうっすらと割れた和樹の腹筋にキスをする。 ――これは俺のために作り変えられた体だ。  涼矢の愛撫とキスは下半身へと移っていく。和樹の両足の間に顔をうずめ、内腿に口づけると、和樹が小さく喘いだ。 ――俺は、触れるだけで喜ばせてやれるような体じゃないけど。  ふくらはぎをさすり、足の指を舐める。口の中でピクリと痙攣する指先。 ――和樹を気持ち良くしてやる術なら。 「あ……んっ。」和樹が身悶えする。どんなに丹念でも、指と舌の愛撫だけでは物足りないのだろう。紅潮した頬で涼矢を見る目は物欲しげだ。

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