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第683話 重ねる時間 (10)

 涼矢はまた言葉に詰まる。 「なんてな。ちょっとポエム入ってたな。」今度は和樹が照れ隠しで笑った。食器はすべて洗い終えたようで、タオルで手を拭くと元の席に戻ってきた。 「運命だよ。」涼矢も少し恥ずかしそうに言った。「運命だ。」と繰り返した。 「ジャ、ジャ、ジャ、ジャーン。」和樹がベートーベンの「運命」の出だしを歌う。「あ、違うか。こういう時の運命の音楽は、教会の鐘かな。ウェディングベル。」 「どっちでもいいよ。」涼矢が笑った。「おまえならデスメタルかもしれないし。」 「それじゃ縁起悪いだろ。」和樹はテーブルの上に置かれていた、涼矢の手に自分の手を重ねた。「とにかく、そういうこと。」 「随分とまとめたな。」  和樹は涼矢の顔ではなく、重ねた手を見つめている。「運命でもそうじゃなくても、俺たちは、結構うまくやれてると思うよ。遠距離の割にさ。」 「うん。……遠距離以前に、普通とは違うけど。」 「それを入れても。つか、別に普通だよ。違わない。多数派じゃないってだけ。そうだろ?」 「……うん、と言いたいところだけど、そうとも言えないかな。もしそうなら、和樹だって誰にも隠さないでいいはずだ。」そう言ってから涼矢はしまったという顔で和樹を見るが、和樹は相変わらずテーブルの上の手から視線を外さない。  手を凝視しながら和樹が言う。「他人にどう説明するかってことじゃなくて、2人の気持ちの話だよ。人を好きになる気持ちに、普通も異常もないだろ?」重ねた指に力がこめられる。 「……。」  涼矢の沈黙に、和樹はようやく涼矢を見た。「違う? おまえはそう思わない? 好きって感情は理屈じゃないんだから。」 「どうかな。」涼矢は淋しそうに笑った。「俺にとっては男を好きになるのは自然の成り行きだったけど、自然な感情だから普通のことだって言っていいのか……分からないよ。ずっと考えてきたけど、分からない。」 「なんで? まさか、自然の摂理に反するとか、そういう話? そんなこと言ったら、避妊しながらセックスする夫婦だって異常者だろ。」 「それは極論だと思うけど。」涼矢は和樹の手の下から、自分の手を引き抜いた。「自然に湧き上がった気持ちだからって――それを根拠に普通って言っていいなら、ロリコンだって、死体に興奮するのだって普通だよ。そういう人たちだって自然に湧き上がった感情だ。」 「それこそ極論だよ。」 「うん。そう。分かってる。和樹の言いたいこともね。ごめん、変なこと言った。」 「ホントだよ。ロリコンとか、俺、マジで理解できねえし。……そういうのとは違うよ、俺たちの。それは絶対違う。」 「俺だって感情としてはそう思うよ、でも、言葉にしようとすると、何が違うのか分かんなくなる。」 「だっておまえ、大人だし。生きてるし。対等だろ、俺と。」 「……え?」予想外の言葉が出てきて、涼矢はキョトンとした。 「だからつまり……俺の、涼矢が好きって気持ちと、涼矢が俺のこと好きって気持ちは、意味も、深さも同じだろ? でも、ロリコンのしてることってそうじゃないだろ? 小っちゃい子の言う『好き』と、ロリコン親父が言う『好き』は違う意味だろ? そんで、ロリコン親父はそれが違うってことを知ってて、ターゲットにされるこどものほうは分かってない。不公平なんだ。対等じゃない。死体もそう。相手にはもう気持ちはない。生きてたら嫌だって拒否れるかもしれなくても、死んでるから言えない。……そんな風に、どっちかだけが一方的にコントロールできる『好き』ってのは、愛じゃない、と思う。」 「……へえ。」 「なんだよ、その反応。」 「意外と理屈っぽい答えだった。」 「おまえなあ。」和樹は眉を八の字にして笑う。「俺が理屈っぽいこと考えてるはずないって思ってたのか? 絶対馬鹿にしてるよなあ。」 「してないよ。」 「いーや、してたね。」和樹はもう一度涼矢の手に自分の手を重ねて、今度は簡単には外せないようにしっかりと指をからめた。「俺も考えてるよ。おまえほどじゃないと思うけど。確かに俺、いろんな人に俺らのこと隠してるよ。でも、俺たちは正しい。おまえが言ったんじゃないか。」 「俺が?」 「年末のPランドで。」  涼矢はその時のことを思い出そうとする。和樹とお化け屋敷に行った。観覧車で写真を撮った。断片的な記憶は和樹と2人きりの場面がまっさきに出てくる。その次には和樹に下衆なことを言ってきたマキに腹を立て、わざと際どいことを言い返したことや、カノンと柳瀬を車に乗せて送ったこと。だが、「俺たちは正しい」、そのセリフの記憶は出てこなかった。 「忘れてたって別にいいけど。たぶん、今聞いたっておまえは同じこと言うから。奏多の奴、俺らのこともっと早く打ち明けてほしかったとか言っててさ、俺が、あいつはいつも自分が正しいと思ってるんだって言ったら、おまえが言ったんだよ。実際、奏多は正しいって。けど、俺たちだって正しいんだって。そう言ったんだ。」

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