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第695話 たゆたう空間 (4)

 涼矢は笑う。「まあ、やってることだけ見たらそうだけどさ。けど、本当に好きな人がいて、その人のためを思って送った贈り物をするのって、きっと幸せなことで……この夫婦は、役に立たないものだとしても、相手を責めたりしない。鎖をくれた妻に夫は感謝しただろうし、妻もそう。相手に愛されてるんだなぁってしみじみ思ったし、自分が好きになった人がこの人で良かったって思ったんじゃないかな。この夫婦は、愛することの幸せも、愛されることへの感謝も知ってる。だから賢い。……という話なのではないかと思いました。以上。」  最後のほうになって気恥ずかしくなったのか、涼矢はそんな結び方をした。 「はあ、深いですな。」和樹はそんな風にふざけた返しをしたものの、涼矢が語る言葉は、まるで自分への愛の深さの告白のように聞こえていた。愛することの幸せと愛されることへの感謝を知っている。それが賢いってことなら、涼矢は賢い。――じゃあ、俺もだ。俺も賢い。  そして、そうならば、愛する人と向き合ってきちんと愛さないことは愚かしく、愛されているのに、素直に感謝できないことは心が貧しい。 「それ、誰が哲にあげたの。」和樹が聞いた。 「だから、一緒にレポートやった女の子だよ。英文科で、哲が時々講義もぐりこんだりしてて、仲が良い。」 「女の子なんだ?」 「そうだよ。言わなかったっけ。」 「言ってたっけ。」 「1年の時のジェンダー学の講義で一緒になった子。グループワークの時、その子ともう1人の女の子に哲が声かけて、その後もなんとなく仲良くしてた。今年は同じ講義取ってないからあまり顔合わせないけど。哲が留学すると聞いて集まって飯食うことになって、その時にプレゼントしてた。」 「そういう時に本ってプレゼントするもんかな。文学少女?」 「文学少女っぽいのは、もう1人の子かな。哲とよく文学談義してるって言ってたから。」 「あいつが文学談義ねえ。だから本なのか。」 「あっ。」と涼矢が声を上げた。 「なんだよ。」 「やっぱり言ったよ、俺。この話。おまえ怒っただろ、哲に涼矢呼ばわりさせてたって。」 「何の話。」 「おまえが哲の見送り行った日かな。あの馬鹿、涼矢って呼んだとか呼ばないとかくだらないこと、おまえに吹き込んで。」 「そんな話したっけ。」 「したよ。そんで、それはその女の子たちが俺のこと涼矢くんって呼ぶから、それにつられただけだって。話しただろ、これ。」 「あー。」和樹はぼんやりと思い出した。そのやりとりはなんとなく覚えていた。「電話でした話?」 「そう。」 「ああ、あの時の。なんか思い出した。おまえが女の子と飯食ってるって聞いて、へえって思ったわ。」 「うん。その時に女の子の1人が……千佳って子が、渡してた。」いちいちオンナノコノヒトリと言うのが煩わしくなり、個人名を出した。 「チカちゃん。もう1人は。」 「響子。文学少女。」 「キョウコちゃん。その子たち、彼氏いないの?」 「どこに興味持ってんだよ。いなかったらどうする気だよ。」 「違うよ、その子たちがおまえに気があるんじゃないのかって。そっちが心配。」 「彼女たちは俺らがゲイなの知ってるし、響子は彼氏持ちだよ。」 「チカちゃんは?」 「千佳は俺じゃなくて。」勢いでつい言いかけてしまう。「好きな奴がいる。俺じゃない、別の奴。」  和樹はじぃっと涼矢を見た。「涼矢、チカちゃんの好きな男、知ってるんだ?」 「……たまたまちょっと聞いただけ。」 「で、チカって呼んでるんだ。」 「エミリと同じようなもんだよ。友達だから。」  和樹は更に涼矢の顔を見つめた。「うん、そこは信じよう。」 「なんもないよ、分かってるだろ、俺、女は全然。」 「だからそこは信じてるよ。……で、そのチカちゃんてのは、哲のこと好きなの?」 「えっ。」 「おまえ、バレバレだよ。それしか登場人物いないのに、分からないわけないだろ。それに俺は部外者だからさ、知らない女の子が哲のこと好きなの知ったところで、何がどうなるわけじゃあるまいし。」 「まあ、そうなんだけど。」 「おまえがそういうの……他人の秘密バラすようなこと嫌いなのは知ってるけどさ。」 「でも、バレちゃしょうがないよな。」  和樹は笑う。「うん、しょうがない。知らないふり、下手過ぎ。」  涼矢は観念したように細く長い息を吐く。「千佳は、哲が好きなんだ。」と改めて言った。 「哲は知ってたのか、そのこと。」 「ああ。千佳が告白したからね。その前から気が付いていたかもしれないけど。」 「告白されて、振っておいて、頑張れ会なんてやってもらっちゃってるの?」 「それは千佳がそう望んだから。今まで通りでいてほしいって。俺にもそう言ってた。」 「そこも、おまえとエミリみたいなもんか。」 「そう……かな。」 「その子、何を好き好んで哲みたいなのを好きになるかね。」和樹は暗くなってしまいそうな場を明るく茶化した。 「男っぽい男が苦手なんだって。」

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