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第696話 たゆたう空間 (5)
「え、哲って女っぽいか? そんなことないよな?」
「大声で話すとか、物を雑に放り投げるとか、そういう態度が怖いみたい。威圧的に感じるのかな。そういう意味では、哲って言葉使いや動作は優しげだろ、一見。」
「一見な。でも、おまえも別にそういう意味では雑ではないよな。」
「俺はでかいから物理的な圧を感じるらしい。」
和樹は吹き出した。「そういうのも含まれるんだ。じゃあ、俺もきっとダメだな。」
「うん。今はもう慣れたから平気って言われたけど。哲は、女子の中にいても違和感なく溶け込めるみたい。」
「ああ、それは分からなくもないな。」
「分かる?」
「女子の中っつか、どういう集団でもするっと入り込むような感じ? 老人ホームにいたって、幼稚園にいたって、いつの間にかそこに馴染んでる感じしない?」
「そうかな?」
「だって、おまえとだって、するっと仲良くなったわけだろ?」和樹は若干皮肉めいた言い方をした。
「仲良くって……。別にわざわざ感じ悪くする必要もないと思っただけで、あとはあっちが勝手に馴れ馴れしくしてきて。」
「そりゃそうだろ、けど、誰にでも最初はそうしてても、哲だけがおまえにとって、ちょっと特別になった。」
「それは……あんな風にゲイをオープンにしてる同級生なんて、初めてだったし。」
「仲間を見つけたと思った?」
涼矢は考え込んだ末に、ドサッとベッドに体を横たえた。「それ聞いてどうする?」
和樹もベッドの上で壁を背にして座った。涼矢の投げ出された足に90度に交差するように、足を延ばす。和樹に足を乗せられた恰好の涼矢だが、文句を言うでもない。
「分からない。」と和樹が言った。「それ聞いても、何も変わんないと思う。」
「なら、どうだっていいだろ。」
「どうでもよくはないけど。」和樹はゴロリと横になり、涼矢の隣に寝そべった。「考えても仕方ないことだな。」
「和樹って、哲のこと、どうでもいいって言ったり、よくないって言ったり。」涼矢は笑った。
「だって両方なんだもん。」和樹も笑った。「俺もさ、おまえが綾乃のこと言うみたいに、言ってやりたいよ。哲なんか大嫌いって。」
「一緒にすんなよ、あいつは俺の元彼でもなんでもないぞ。」
「だから、言えない。」
どうでもよくて、どうでもよくない。そんな言い回しを、ついさっきしなかったか、と和樹は思った。――ああ、『賢者の贈り物』だ。哲にぴったりだけど、哲らしくない話。
和樹は横を向いて、すぐ目の前にある涼矢の唇に触れた。涼矢の唇は大抵カサついている。キスをして湿らせても、すぐに乾燥する。夕方の買い出しでドラッグストアに行った時、ついでにリップクリームも買ってやればよかったと思う。この次は忘れないようにしよう。
「さっきからなんだよ?」唇に触れる手がいつまでも離れないので、ついに涼矢が言った。
「唇が乾燥してるなあと思って。」
「なんだ、そんなこと。」涼矢は和樹の手首を取り、それから手の甲にキスをした。
「リップ、使えばいいのに。」
「気になる?」
「なる。チューする時、ガサガサ。」
「それは悪かった。」涼矢は自分で自分の唇をペロリと舐めた。
「舐めたってだめだよ。」
涼矢は舌先を出して、和樹の頬を舐めた。「これならカサついてないだろ?」
「ベトベトするじゃん。」
「失礼な。」涼矢は笑って、和樹の耳たぶやら首筋やらを舐めた。
「やめろって。」和樹は身をよじってそれをよけていたが、途中からはそんな抵抗もやめ、されるがままになった。Tシャツをまくりあげられ、へその横を舐められた時には、「んっ。」と声が出た。「なあ。」
「ん?」
「また、すんの?」
「そのためにゴム買ってきた。」
「下におふくろさんいるのに?」
「今更。」
「……あんまり、その、激しくすんなよ。あと、1回だけな。」
「分かった分かった。」
「絶対言うこと聞く気ないだろ、それ。」
「1回だけじゃ、和樹が我慢できないかもよ?」
「うっせえよ。」
「ほら、否定しないし。」涼矢はにやにやしながら、和樹の足の間に手を差し入れ、開かせる。「嫌だって言えば、すぐ、やめるから。」開かせた真ん中に顔を近づけ、下着ごとハーフパンツをずりさげると、すぐにペニスにキスをした。「これもガサガサする?」
「……知るか、馬鹿。……んあっ……!」
「静かにね。」和樹の股間から、顔をのぞかせた涼矢が言った。
翌朝は和樹が先に目を覚ました。だが、すぐには起き上がらず、そのままぼんやりと涼矢の寝顔を眺めた。顔の半分が髪で隠れている。それをそっとかきあげて、全部が見えるようにした。閉じた瞼の睫毛は、普段より長く見える。すっと通った鼻筋。薄く開いた口から寝息が聞こえる。そんな風に口を開けて寝るから唇が乾くんだ、などと思う。髭はやっぱり生えていない。自分とは違う。和樹は無意識に自分の顎のラインを撫でて、そのチクチクとした感触に落ち込んだ。唇のカサカサよりも、この髭のチクチクのほうが不愉快だろう、と想像して申し訳ない気分にまでなる。それから、涼矢の長い髪をそっと撫でた。そうだ、俺の髭もいっそ伸ばしてしまえば、チクチクはしないだろう。ただ、髭面の俺を、果たして涼矢は受け入れてくれるのだろうか。――受け入れるんだろうなぁ、こいつは。
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