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第710話 The Gift of the Magi (10)
「俺は本当に好きな人としかしない。」涼矢は手を伸ばして、和樹の耳に触れた。「おまえしか好きにならない。」耳に触れた指先はそのままに、手の平が徐々に和樹の頬に密着していく。
和樹は頬を包む手に頬ずりをするように、顔を傾けた。涼矢の手の熱さをしばし堪能しつつ、「おまえ、ほんとに俺のこと好きだな。」と微笑んだ。
「ああ。」
和樹は頬にある手に、自分の手を重ねた。「ずっと俺のことだけ見てろよ。」
「うん。」
「幸せにするから。」
「もう幸せだよ。」
「だったら。」和樹は涼矢を上目遣いで見た。「そんな、泣きそうな顔して言うな。」
「泣かねえよ。」涼矢は和樹の頬にある手を、そっと離した。その手で、再びハンドルを握る。正面を見て、ぽつりと言った。「悪かったな。」
「何が?」和樹はいったん外していたシートベルトを再びつけた。
「黙ってたこと。」
「ああ、あれ。……まあ、しょうがないよな。」
「そんな反応だとは思わなかった。」
「怒るかと思った?」
「いや。」
「泣くって?」
「いや。……予想つかなかった。ただ、言うべきじゃないって思ってた。」
「うん。そりゃそうだろうな。俺がおまえでもそう思うし、同じことする。」
涼矢はピクッと身を震わせるが、相変わらず和樹の方は見ない。「本当に?」
「ああ。だから、分かる。おまえは、俺のために黙ってたんだって。」
涼矢は無言だった。無言のまま、エンジンをかけた。
和樹を送り届けて、涼矢はとんぼ帰りで自分の家に戻った。その途中で夕立に降られた。日没までに間があったのに急に暗くなったのは、その雨をもたらした雲のせいだった。とりあえずは和樹を送った後でよかったと思う。自分も地下のガレージから直接屋内に入れるのだから、濡れることはない。
和樹と一緒にいて、雨にたたられたことは数えるほどしかないが、その中でも印象深いのは、上野動物園のにわか雨と、ここから東京へ車を走らせた日のあの台風だ。
――あの日だって、哲が背中を押したんだ。身一つでいいから、とにかく急いで行けと。
いつから好意を持たれていたのか。そしていつ諦めたのか。はっきりとしたことは分からない。もしかしたら、哲自身にも分からないのではあるまいか、と涼矢は思う。
――でも、もういい。
涼矢は自室に籠もると、ベッドにドサリと体を横たえた。
――もういいんだ、哲のことは。
無意識につぶった目に腕を乗せようとして、眼鏡に当たる。眼鏡をかけていたことをすっかり失念していた。
――せっかく眼鏡かけてたのに、何もできなかったな。
突拍子もなくそんなことを思いついて、自分でおかしくなった。
そんな時にスマホが振動した。和樹からのメッセージだ。
[月餅好き?]
唐突な質問だった。
[少しなら美味しく食べる。大量には食べない]
[親父の中国土産][じゃあ佐江子さんと2個あればいい? 1個が結構でかい]
[いいの?]
[うん][あとウーロン茶][茶葉][結構高級なやつだって][親父が言ってた]
[それは欲しい]
[了解][とりあえずそれだけ][また連絡する]
涼矢はOKのマークを送った。しばらくスマホを握りしめ、そのうちクスクスと笑い出した。
――なんだよ、和樹の奴。人があんなに。
――恐れていたのに。
和樹を傷つけることを。2人がこのままでいられなくなることを。下手したら二度と会えなくなることを。2人で話した、「おはよう」とか「おかえり」とか言い合う日が来なくなることを。
だから、絶対に秘めておこうと決めていたのに。
和樹は俺のそんな一大決心すら軽々と飛び越えてくる。それどころか、大丈夫だよ、と手招きしてくれる。
――いや。軽々と、ではなかったのだろう。そんなに簡単なことなら、今更こんな話を蒸し返したりしない。和樹だってきっと、ずっと聞くに聞けないでいて。そして、やっと今なんだ。和樹は和樹で、俺を傷つけまいと、2人の関係のためにと、今まで気づかないふりをしてたんだ。
たとえそれが役に立たない金鎖でも櫛でも、相手を思ったものなら、意味も価値もある。
『友情はすれ違っても取り返しがつくけど、愛情は取り返せない』
そんな響子の言葉が脳裏をよぎるが、涼矢はそれを否定した。
――違うよ、響子。愛情だって、取り返しはつくんだ。相手のことを思ってしたことなら、いつか。相手を信じていれば、いつかは。……妻の髪は伸びるし、夫はそのうち質に流した時計を買い戻すだろう。
和樹は、ふう、とため息をついて、スマホを置いた。父親の隆志が「どうした?」と聞く。
「や、雨降ってきちゃったな、と思って。予報見たら明日も降るって言うから。」和樹は取り繕った。実際はそうではない。涼矢に「月餅は好きか?」などと、突然聞いたりして、変な風に思われなかったかと気にして出たため息だった。
「ええっ、明日も降るのかい。」隆志は広げていた新聞の天気図を見る。「おや、そんなこと書いてないよ。明日は全国的に晴れで、真夏日だそうだ。」
「……あれっ、そう? じゃあ、見間違えたのかな。」和樹は適当に誤魔化し、そそくさと退散しようとした。手には月餅を2個、携えて。
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