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第711話 何日君再来 (1)

「宏、じゃなかった和樹、どこ行くの。お茶淹れたわよ。」恵が言う。 「部屋戻るだけ。お茶はあとで飲むから置いておいて。」 「月餅食べないの?」 「あとで食べる。」 「もう。」  すねる恵を放って、和樹は自室に向かった。別に戻る目的はなかった。隆志に探りを入れられるのが鬱陶しかっただけだ。月餅を適当な紙袋に突っ込んで、更にバッグに入れた。 ――これをいつ渡そう。明日? 今日の明日でまた会おうって言ったら、うざがられるかな。 ――毎日でも会いたいけれど。一秒でも長く一緒にいたいけれど。今日は2人きりでいる時間も少なかった。あっても哲の話ぐらいしかしなかった。そうだ、おはようのキスすらしていない。 ――リビングに戻って、明日もまた友達と出かけると言えば、おふくろに嫌味のひとつも言われるだろうか。親父に根掘り葉掘り聞かれるのだろうか。  和樹は今日だけで何度目かのため息を、またついた。 ――まったく、高校の頃のほうが自由だったよな。  涼矢のスマホの着信音が鳴ったのは、和樹からのメッセージの直後だった。当たり前のように和樹が何か言い忘れたことでもあったのだと思って、発信元も確かめずに電話に出た。 「どうした?」 ――えっ? おまえ涼矢だよな?  戸惑った声は和樹ではなかった。涼矢は慌てて画面を見る。 「奏多?」津々井奏多。年末に同級生たちと一緒に会って以来、没交渉だ。年賀状はもらっていた気がするが、自分はそれに返しただろうか。それすらもあやふやな程度には疎遠になっている。 ――ああ。誰と勘違いしたのかとは聞かないでおくよ。 「で、何の用。」  久々の連絡に、そんな無愛想な対応をしても奏多は戸惑うこともない。奏多にとっては高校時代から変わっていない「涼矢らしい」会話だった。 ――うん、その……。突然で悪いけど、明日か明後日か、とにかくなるべく早いうちに会えないか?  翻って、奏多のほうは「らしく」なかった。奥歯に物が挟まったような言い方だ。きっと良い話ではないのだろう。そう思うが、だからこそ無下にもできなかった。涼矢は一拍おいて答えた。「和樹が帰省してる。一緒でいいなら。」  奏多もまた返事までに間を空けた。和樹の同席は断りたいのが本音なのだろう。半年以上も前のことになるが、遊園地で2人のことを明言した時の奏多の態度を思えば、想像は容易かった。宏樹と同様、頭では理解している、あるいは理解すべきだと思っていても、心が付いていかない。でも、「友達の性指向」に対して偏見を持つ人間にはなりたくないし、そう思われたくもない。そんなところだろう。  でも、そんな「迷い」や「ためらい」は奏多のものであって、俺たちのものじゃない。やっぱり抵抗がある、無理だ、と思うのなら仕方がない。お互いのために距離を置いたほうがいいだろう。宏樹とは違い、和樹の身内ですらない奏多だ。理解してもらえるまで説得する気も起きない。  じゃあ、だめだな。そう返事しようと思った矢先に、ようやく奏多が口を開いた。 ――分かった、いいよ。でも、和樹以外の奴は呼ばないで欲しい。 「それはない。」 ――いつなら空いてる? 「明日の午後ならたぶん大丈夫。和樹にも聞いてみるけど。」 ――分かった。時間決まったら言ってくれ。そっちの都合に合わせるから。  そんな会話をして電話を切った。  さて、どうしたものか。涼矢は考えこんだ。――そもそも明日、和樹と会えるのか? まあ、会えないなら会えないで、奏多とは俺だけ会えばいいんだろうけど。  そう考えつつも、心の片隅ではどこか心細かった。和樹の同行を条件としてチラつかせたのは、以前の奏多の態度への報復の意味もあったし、ハードルを上げることで本気度合を確かめる意味もあった。だが、それだけではない。そういった心細さゆえに和樹にも一緒に来てほしかったのだ。  奏多の様子は明らかに変だった。相談の内容は見当つかないが、「何か」あったのは確かだろう。以前の自分なら人の悩みを聞かされたところで、うまく対応できたこともなければ、うまく対応できなかったらどうしようと不安になることもなかったはずだ。だが、今は違う。何故経験値を重ねたはずの今のほうが不安になるんだろう、と涼矢は思った。 「それは、経験したからこそってやつだろ。」和樹が言った。  それは奏多からの電話の翌日のことだった。  その前日、和樹はリビングで両親と食後のティータイムを過ごし、特に隆志とは互いの近況報告をし、家族団欒というタスクを一通りこなした。恵の淹れたお茶を飲んで、涼矢に茶葉もおすそわけすると約束したのを思い出した。ひとしきり「このお茶、美味しい」と褒めて、茶を淹れた恵のみならず、その茶葉を買ってきた隆志の機嫌もよくなったところで、明日も友達と遊びに行くんだけど、このお茶を手土産にしてもいい?と告げた。結果として和樹は、翌日の外出許可と、本来は会社の同僚へのお土産用だったらしい、きれいな装飾の施された缶入りの茶葉を手に入れた。

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